両角速(東海大)監督の息子は野球選手?箱根駅伝選手時代からの経歴も

 

東海大学といえば、何を思い浮かべますか?

大学だけではなく東海大相模高校など、「東海大○○」といった附属高校も多いので、よく耳にする学校名なのではないでしょうか。

また、プロ野球の読売ジャイアンツの監督を務めていた原辰徳さんの出身大学であることでも有名ですよね。

そんな東海大学は箱根駅伝でも第49回大会(1973年)から第88回大会(2012年)まで40回連続出場という記録を持ち、第81回大会(2005年)で初の往路優勝

そして第95回大会(2019年)では念願の総合優勝を達成。

箱根駅伝常連校だったのもあり2019年の95回大会が初めての総合優勝だったことに驚きました。

第96回大会(2020年)では初の復路優勝を飾るなど、現在では優勝争いには欠かせないチームの一つとなっています。

その選手たちを指揮するのが、2011年から東海大学の駅伝部監督を務める両角速監督。

陸上選手だったという両角速監督の経歴や、2人の息子さんについてご紹介していきたいと思います。

 

初心者はこちらで箱根駅伝のルールや基礎知識を学んでおくと、より観戦を楽しめます。

 

両角速(東海大)監督の息子は野球選手?

 

東海大学陸上競技部駅伝部・両角速監督には二人の息子さんがいます。

長男の駿(しゅん)さんは東海大学に進み駅伝チームに所属していましたが、怪我に悩まされ現役を引退

卒業後は父である両角速監督が率いる東海大学陸上部で院生コーチを務め、その後2018年に東海大相模陸上部の外部コーチに就任

現在は東海大学付属相模高校で陸上競技部長距離ブロック監督を務めています。

2021年11月7日に開催さ入れた神奈川県高校駅伝競走大会陸上部男子が25年ぶり2度目の優勝、12月26日(日)に京都市で開かれる第72回全国高等学校駅伝競走大会への出場を果たしました。

東海大学付属相模高校で活躍した選手が東海大学に進学して、父である両角速監督の下で指導を受け、箱根駅伝で活躍する日がもしかしたら来るかもしれませんね。

そしてもう一人、次男の優(まさる)さんはというと、高校時代には佐久長聖高校のピッチャーとして活躍し、甲子園の舞台にも立ったことも

後ほど詳しく触れますが、佐久長聖高校は両角速監督が駅伝の監督を務めていた高校でもあり、兄・駿さんの出身校でもあることから、両角家と佐久長聖高校には何か縁があるように感じました。

甲子園では2番手ピッチャーとしてマウンドに上がった優さんは、3回無安打5奪三振の無失点に抑えて、佐久長聖高校12年ぶりの勝利に貢献しました。

プロ野球のドラフト候補とも言われていたのですが、立教大学に進み野球部で学生コーチとして活躍し、卒業後は「長野朝日放送」(テレビ局)に就職。

余談ですけれど、奥さんもスピードスケートで全国大会の出場経験があるそう。

競技は違いながらも、家族全員が何らかの形で全国大会で活躍していた&現在も活躍しているというのはすごいですね。

 

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両角速監督のプロフィールや箱根駅伝選手時代の経歴は?

 

それでは両角速監督のプロフィールと箱根駅伝選手時代の経歴について見ていきたいと思います。

両角速(もろずみ はやし)監督は、長野県茅野市出身で、1966年7月5日生まれ

幼い頃からスポーツが得意だった両角速監督の夢は「将来は体育教師になる」ということだったそう。

中学から陸上部に入り本格的に取り組み始め、東海大学第三高校に進むとインターハイにも出場しました。

東海大学に進学した両角速監督は、4年連続で箱根駅伝に出場しています。

大学1年生の時から4年間出場し続けるなんて凄いですよね。

大学卒業後は、日産自動車やダイエーなどの実業団ランナーとして活躍、オリンピックを視野に入れて活動をしていましたが、夢は叶いませんでした。

そんな中、1995年、当時はまだ駅伝では無名だった佐久長聖高校から監督就任の声がかかりました。

現役に未練があったという裏には、夢だった教員になれるという思いもあって監督を引き受けたと言います。

両角速監督にとっては、とてもタイミングが良かったのかもしれませんね。

その後16年間、日本高校記録を更新するランナーを育て上げるなど、佐久長聖高校を駅伝の名門校に導きました。

そして2011年4月東海大学陸上競技部駅伝監督に就任し現在に至ります。

出典:【タウンニュース秦野版】両角速さん

 

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両角速の佐久長聖高校駅伝部監督から現在の経歴は?

 

それでは最後に、両角速監督の佐久長聖高校駅伝部監督時代から、現在に至るまでの経歴を見てきたいと思います。

両角速監督が佐久長聖高校の駅伝部監督に就任した1995年当時、部員はわずか2人。

全国高校駅伝(京都市で行われる通称「都大路」)に出場するにはほど遠いと思われましたが、「5年以内に都大路に出場して欲しい」と学校長に頼まれたのだそう。

そして専用グラウンドがなかったことから、両角速監督自らクロスカントリーのコースを作ったと言います。

1周600mで高低差10mあるコースは、背中や腰、太もも裏などの筋肉を鍛えるために適していることから、トレーニングに活用されました。

スカウトを始め、少しずつ整ってきた駅伝チームは、両角速監督就任4年目にして全国高校駅伝に初出場を果たし、いきなり4位という快挙を達成しました。

全国高校駅伝初出場となった1998年から2010年まで13回大会連続出場12回の入賞1回の優勝という素晴らしい成績を残しています。

佐久長聖高校駅伝部は外国人留学生がいない、日本人高校生のみで構成されていたという点も、注目するべきところではないでしょうか。

また、他県から全国大会の上位優勝者が佐久長聖高校に進学し、その後、箱根駅伝や全国日本実業団対抗駅伝、世界陸上競技選手権といった大きな大会で活躍する選手が増え、名選手の出身高校としても知られるようになりました。

出典:Wikipedia 両角速

全国高校駅伝で無名だった佐久長聖高校を名門校にまで育て上げて、満を持して東海大学陸上競技部駅伝部の監督になった両角速監督でしたが、すぐに結果が出るということにはなりませんでした。

前年度において、全日本大学駅伝と箱根駅伝ではシード権を得ていたにも関わらず、期待されていたエースの不調などもあり、就任1年目はこの2つの大会ではシード権を逃してしまったのです。

続く2年目は箱根駅伝の予選会からの出場となりましたが、まさかの予選落ち、箱根駅伝の連続出場記録が40回で途切れてしまうことになりました。

しかし、3年目となった2014年には13位、2015年は6位、2016年は5位と着実に成果が出てきて、第95回大会(2019年)では念願の総合優勝を達成しました。

第96回大会(2020年)では初の復路優勝を飾るなど、現在では優勝争いには欠かせないチームの一つとなっています。

少しずつ、そして確実に、両角速監督の指導が選手たちに伝わっている証拠なのではないでしょうか。

両角速監督の指導は人間性の育成を重視していて、「多くの選手は競技を続ける期間が限られている。競技も大事だけど、一人の社会人として世の中に出ていけるように」という思いがあるのだそう。

こういった考え方は、青山学院大学の原晋監督にも似ていて、特に学生の指導者はその先のことまで見据えているのだと、改めて感じました。

東海大学 両角速監督まとめ

 

両角速監督の2人の息子さん、特に長男の駿さんは東海大相模陸上部の長距離ブロックの監督と、親子で駅伝の監督というのもなかなかないですよね。

父と息子だからこそ伝えられること、学べる事もきっとあるかと思います。

それぞれの監督の下でどんな選手が活躍していくのか、楽しみですね。

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