毎年元旦に行われているニューイヤー駅伝。
お正月の楽しみにしている方も多いのではないでしょうか?
ニューイヤー駅伝は実業団駅伝の日本一を決める大会で、過去に箱根駅伝で活躍した選手が出場することもあるため、箱根駅伝と合わせて人気の高い大会でもあるんですよね。
そんなニューイヤー駅伝ですが、ニューイヤー駅伝の正式名称や、なぜニューイヤー駅伝は群馬県で行われているの?
といったことなど、詳しいことはあまり分からないという方もいらっしゃるのではないかと思います。
そこでここではニューイヤー駅伝について分かりやすくご紹介していきますので、大会前のマメ知識として、ぜひ最後までご覧になってみてくださいね。
ニューイヤー駅伝2024東日本予選会の結果はこちら
>>>ニューイヤー駅伝2024東日本予選会の結果と順位は?
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ニューイヤー駅伝はいつから始まった?正式名称やその歴史は?
それではまず、ニューイヤー駅伝の正式名称や歴史について見ていきたいと思います。
【ニューイヤー駅伝の正式名称】
全日本実業団対抗駅伝競走大会
【ニューイヤー駅伝の歴史】
第1回大会が行われたのは1957年(昭和32年)、三重県の伊勢神宮外宮前をスタートする全7区間83.5kmのコースで開催されました。
当初は早春に行われていましたが、第5回大会から12月へ変更、第15回大会(1970年)から伊勢神宮内宮を循環するコースが追加されて全長99kmとなります。
以降、第30回大会(1985年)までは三重県で行われていましたが、第31回大会(1986年)は開催地が滋賀県へ変更され、距離も約15km短くなって全長84.4kmのコースで行われていたこともあったそうですよ。
そして第32回大会(1988年)から開催日が現在と同じ1月1日となり、開催地も群馬県の主要都市を巡るコースへ変更、第45回大会(2001年)から全7区間100kmのコースとなりました。
ニューイヤー駅伝のコースは?
それでは次に、ニューイヤー駅伝のコースについて1区から7区まで、簡単にご紹介していきたいと思います。
2022年現在のコースは以下の通りです。
全7区間 100.0km
1区(12.3km) 群馬県庁~高崎市役所
2区( 8.3km) 高崎市役所~前橋公田町
3区(13.6km) 前橋公田町~伊勢崎市役所
4区(22.4㎞) 伊勢崎市役所~太田市役所
5区(15.8㎞) 太田市役所~桐生市役所
6区(11.9㎞) 桐生市役所~伊勢崎市西久保町
7区(15.7km) 伊勢崎市西久保町~群馬県庁
参考
ニューイヤー駅伝inぐんま 第67回 全日本実業団対抗駅伝競走大会要項一般社団法人 日本実業団陸上競技連合
ニューイヤー駅伝はなぜ群馬県を走るの?
それでは最後に、ニューイヤー駅伝がなぜ群馬県で行われるようになったのか、その背景について見ていきたいと思います。
群馬県は元内閣総理大臣、中曽根康弘さんの地元であることをご存じでしたでしょうか?
そして、その息子さんの中曽根弘文さんがニューイヤー駅伝の誘致に力を注いでいたそうなんです。
群馬県側としても中曽根弘文さんの期待になんとか応えようと、コース整備や交通規制等の強力なバックアップを実施し、群馬県での開催が実現した、ということなんです。
そしてもう一つ、ニューイヤー駅伝のテレビ中継をする上でも大きなメリットがあるのです。
テレビ中継をするためには電波を発信するための中継局が必要になるのですが、その中継局が複数になってしまうと、その分費用もかかってしまいます。
ですが幸運なことに、ニューイヤー駅伝のコースは赤城山エリアにある中継局1ヶ所だけで全コースの中継をまかなえることができてしまうんです。
コストはなるべく抑えたいところですから、中継局が1ヶ所だけで済むというのは、とても大きなメリットになりますよね。
そしてさらに、群馬県は比較的温暖な気候であることから、駅伝を走る選手にとっても好条件の土地柄であるともいえそうです。
ニューイヤー駅伝まとめ
ニューイヤー駅伝の歴史やコース紹介、ニューイヤー駅伝が群馬県で開催されている理由などについてご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?
歴代の総理大臣の出身地というのは、地元の人達にとっても大きな誇りでしょうし、なんとしてでもニューイヤー駅伝を群馬県で開催したいという思いが強かったのかもしれませんね。
過去に箱根駅伝で活躍した選手も多く出場するニューイヤー駅伝、ぜひ、箱根駅伝と合わせて観戦してみてくださいね。
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