箱根駅伝で採用されているシード校の制度。
現在では、箱根駅伝の総合順位10位以上のチームに対して、翌年度の箱根駅伝には予選会が免除されるシード権が与えられています。
今となっては当たり前のようにあるシード権ですが、いったいいつからこの制度が始まったのかご存じですか?
そこでここでは、意外と知られていない箱根駅伝のシード校の制度について、その歴史を振り返ってみたいと思います。
また、箱根駅伝で記念大会と呼ばれる大会についても簡単に解説していきますので、ぜひ最後までご覧ください。
箱根駅伝のシード権いつから?!シード校制度の歴史
それではまずシード権はいつから始まったのでしょうか?
シード校制度の歴史について見ていきたいと思います。
第1回箱根駅伝が開催されたのは、1920年(大正9年)2月。
このときの出場校は4校で、四大校対抗駅伝競走という名称で開催され、有楽町報知新聞前から箱根関所址間を往復する形で行われました。
それから徐々に参加校が増えていき、幾度となくスタートとゴール地点の変更と大会名称の変更がなされ、現在の箱根駅伝が定着するようになりました。
そして、初めて箱根駅伝にシード校の制度が適用されたのは、第33回大会(1956年・昭和32年)から。
第33回大会は、前回大会(第32回大会)の上位10校(シード校)と、予選会上位5校を合わせた15校で行われました。
また、それまで予選会も行われていなかったということですので、予選会も初めからあったわけではなかったんですよ。
箱根駅伝の長い歴史の中で、大会の名称や区間の変更など、参加校の増加に伴い様々な改善がされてきたことが分かりますね。
次の見出しでは、これまでの箱根駅伝の出場校の数や、箱根駅伝で度々行われる記念大会について見ていきたいと思います。
出場校数も開催年で違う?記念大会ってなに?
それでは次に、箱根駅伝の出場校の数は開催年度によって違うのか?そして、記念大会ってなに?といったことについて、簡単に説明をしていきたいと思います。
【箱根駅伝の記念大会とは?】
箱根駅伝が始まってから〇周年、〇回開催といった節目に行われる大会のことを、記念大会というふうに呼んでいます。
近年では5年ごとに行われている記念大会ですが、当初は10年ごとに記念大会が行われていたこともあったのですよ。
そして、この記念大会では通常の出場枠に加え、成績枠や招待枠などが設けられています。
では、過去の記念大会ではどんな出場枠が設けられていたのでしょうか?
記念大会ごとに出場校の内訳を見ていきましょう。
【過去の記念大会一覧】
過去の記念大会について振り返ってみましょう。
初めは、10年(10回)ごとに行われていた記念大会ですけれど、第85回からは5年(5回)ごとに行われるように変わっています。
シード校となる大学の数もその時によって違いがあるので、その変移を比べてみてください。
【40回記念】
前回大会シード10校と予選会通過5校、招待枠2校の全17校が出場。
【50回記念】
前回大会シード9校と予選会通過6校、過去の優勝校5校を招待枠として全20校が出場。
【60回記念】
前回大会シード9校と予選会の標準記録をクリアした上位11校の全20校が出場。
【70回記念】
前回大会シード9校と予選会通過11校の全20校が出場。
【85回記念】
前回大会シード9校と予選会通過13校、選抜チーム1校の全23校が出場。
【90回記念】
前回大会シード10校と予選会通過13校の全23校が出場。
【95回記念】
前回大会シード10校と予選会通過11校、関東インカレ枠1校、関東学生連合チーム1校の全23校が出場。
【100回記念大会】
2024年に開催予定の第100回大会。
第100回箱根駅伝予選会では、参加資格が地方の大学にも開かれ関東の大学以外の地方からも11校参加し合計57校で出場をめぐる戦いが行われました。
残念ながら地方の大学から箱根駅伝に出場できる大学はありませんでした。
前回大会シード10校と予選会通過13校の全23校が出場します。
箱根駅伝のシード権の歴史まとめ
箱根駅伝のシード権の歴史について。
シード校はいつから始まったのか、そして過去に行われた記念大会についてご紹介してきました。
今ではシード校という呼び名が定着しているので、シード校の歴史についてあまり気にしていなかったという方も多かったのではないでしょうか。
また、記念大会では予選会から出場できる数も10校に限らず、11校や13校といったケースもあることも分かりました。
次回の記念大会は2024年の100回大会。
どんな記念大会になるのかとても楽しみですね。
箱根駅伝のルールや出場校について詳しく知りたい方はこちら