原晋監督の奥さんはカリスマ寮母(青学)?名言や歴代大作戦名も!

 

第98回大会(2022年)箱根駅伝では総合優勝を手にした青山学院大学

その青山学院大学の陸上競技部を指揮しているのは、名将とも呼ばれている原晋監督です。

30年以上箱根駅伝から遠ざかっていた青山学院大学を第91回大会(2015年)箱根駅伝初優勝に導くと、怒涛の4連覇を達成、一躍注目を浴びるようになりました。

そんな原晋監督はテレビ出演も多く、原晋監督はどんな人なんだろう?と思っている人も多いのではないでしょうか。

そこでここでは箱根駅伝の強豪、青山学院大学を率いる原晋監督についてご紹介していきたいと思います。

原晋監督が残した数々の名言や経歴、また、カリスマ寮母と呼ばれている原晋監督の奥さんについてもご紹介してきますので、ぜひ最後までご覧になってみてくださいね。

 

原晋監督の奥さんはカリスマ寮母(青学)?

 

それではまず、原晋監督の奥さんについてご紹介したいと思います。

原晋監督の奥さんのプロフィール

 

【出身地や名前は?】

出身地:1967年 広島県広島市生まれ

名前:原 美穂(はら みほ)

 

【寮母としての美穂さんてどんな人?】

原晋監督と出会ったのは原晋監督が中部電力に務めていたときということで、美穂さんは原監督の現役時代のことをあまり知らなかったのだそうです。

なので、最初に青山学院大学陸上競技部の監督になるという話しも信じていなかったんだとか。

ましてや、生まれ育った広島県を離れるということや、夫婦ふたりで今の仕事をやめて、給料がなくなるかもしれないという不安のことを考えると、すぐには同意することはできなかったのだと言います。

でも、陸上部強化のためには寮を作って管理してくれる人が必要だから一緒に来て欲しいと説得。

大学側からの要請もあって、当初は3年契約ということだったらしいのですが、今やすっかり腰を据えている感じですよね。

青山学院大学としても寮母という前例がなかったので、本当に一から学生たちと寮でのルールを作り上げたということですから、相当な苦労があったのではないでしょうか。

学生たちへはひとりひとりにあった接し方をするために、入部したての1年生に対しては積極的に声をかけて、美穂さんなりに学生たちの性格を見極めているそうです。

特別扱いをすることなく、ときにはアスリートなのでそれはダメだよとか、言うべきことは言うという美穂さん。

学生たちにとっては監督には言えない愚痴なども言える、美穂さんはそんな母親のような存在なんですよ。


参考
青山学院大学陸上競技部 寮母 原美穂さんごはんだもん!げんきだもん!

 

青山学院大学の原晋監督の出身中学などプロフィールと経歴は?

 

それでは次に、青山学院大学陸上競技部の原晋監督について、簡単にプロフィールをご紹介したいと思います。

原晋監督のプロフィール

 

【出身地や名前は?】

出身地:広島県三原市出身

生年月日:1967年3月8日生まれ

名前:原 晋(はら すすむ)

 

【原晋監督の経歴は?】

小学生の頃からソフトボールでは4番でピッチャー、相撲では主将という、運動能力が抜群だった原晋監督。

しかし、小学校2年生のときに不慮の事故で足を複雑骨折してしまった原晋監督は、リハビリを兼ねてジョギングを始めたのだそうです。

中学校では陸上部に入部、中学1年生のときのマラソン大会では上級生を抑えて校内1位を獲得、中学3年生のときに出場した県総体の1500mでは2位を獲得とくしたということで、この頃から走りの素質があったことが伺えますね。

そして、高校駅伝の強豪校と言われている世羅高校へ進学。

高校3年生のときに出場した全国高等学校駅伝競走大会では、主将としてチームを総合2位に導きました。

大学は世羅高校のOBが監督を務めていた中高大学へ進学。

残念ながら、原晋監督自身は箱根駅伝の出場は叶わなかったのですが、大学3年生のときには日本インカレ3000m3位を獲得するなど、陸上競技者としての実績は着実に積み上げていきました。

大学を卒業後、1989年には広島県の中部電力へ入社し、同社の陸上競技部創設に参加1993年には主将として全国実業団駅伝の初優勝に貢献しました。

ですが、故障が原因で27歳という若さで選手生活にピリオドを打つことを余儀なくされてしまいます。

現役を引退してからは、中部電力で10年間サラリーマン生活を送っていましたが、築熱式空調システム「エコアイス」の販売で社内トップの評価を受けて新規事業を立ち上げ、「伝説の営業マン」としても活躍。

そして36歳のとき、青山学院大学陸上競技部監督にならないかという誘いを受け、中部電力を退職した後に同校の監督に就任

2004年当時は青山学院大学は箱根駅伝の出場から遠ざかっている時期だったこともあり、「箱根駅伝に3年で出場、5年でシード権、10年で優勝争い」と宣言したものの、就任3年目の2006年の予選会で16位となってしまい、大学の幹部からは「話しが違う」と責められて長距離部門も廃部寸前になったこともあったそうです。

第84回大会(2008年)の箱根駅伝では学連選抜連合チームの監督としてチームを4位に導くと、翌年の第85回大会(2009年)では史上最大のブランクとなる33年振りに青山学院大学陸上競技部を箱根駅伝に導きました。

第86回大会(2010年)箱根駅伝では8位になり41年振りのシード権を獲得、2012年には大学三大駅伝と言われている出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝の三大会で優勝し、三冠を達成。

そして、第91回大会(2015年)箱根駅伝で念願の総合初優勝を飾ると、第94回大会(2018年)箱根駅伝まで4連覇を達成、以降、優勝争いの常連校となるまでの強豪校に成長し、原晋監督自身も名将と呼ばれるまでになりました。

また、原晋監督はテレビにも多く出演されていたり、2021年1月1日付けでバディースポーツ幼児園の監督に就任するなど、幅広く活躍されています。


参考
原晋Wikipedia

 

原晋監督の名言や著書&箱根駅伝の歴代大作戦!

 

それでは最後に、原晋監督が残した名言や出版されている書籍などについて、いくつかピックアップしてご紹介したいと思います。

また、箱根駅伝に向けて毎年ユニークな作戦名も発表されていますので、そちら合わせてご紹介していきます。

原晋監督の名言

 

・指導の信念は「人間として、男として自立させること」

「人は暗い所からは力は出ない。全て明るさから始まる。」

「”チャラい”は、ほめ言葉」

「監督の言うことをそのまま聞くような選手には興味がない」

「自発的に物事を考えられるようにならないとこれから先の成長はないから」

「失敗とは、何もしないこと」

 

原晋監督の著書

 

・勝ち続ける理由

・人を育て 組織を鍛え 成功を呼び込む 勝利への哲学157~原晋 魂の語録

・フツーの会社員だった僕が、青山学院大学を箱根駅伝優勝に導いた47の言葉

・逆転のメソッド 箱根駅伝もビジネスも一緒です

・魔法をかける アオガク「箱根駅伝」制覇までの4000日

・改革する思考

 

青山学院大学 箱根駅伝の大作戦名

 

・2015年度「ワクワク大作戦」

・2016年度「ハッピー大作戦」

・2017年度「サンキュー大作戦」

・2018年度「ハーモニー大作戦」

・2019年度「ゴーゴー大作戦」

・2020年度「やっぱり大作戦」

・2021年度「絆大作戦」

・2021年度「パワフル大作戦」

・2022年度「ピース大作戦」

 

原晋監督とカリスマ寮母の奥さんまとめ

 

青山学院大学陸上競技部、原晋監督と奥さんであり寮母である美穂さんについてご紹介してきました。

原晋監督は青山学院大学の駅伝チームの監督業のほか、テレビ出演や書籍の出版など幅広い分野で活躍されています。

書籍のレビューでは、元ビジネスマンだっただけあってビジネスマンが読んでも参考になるととても評判のようですよ。

原晋監督の考え方に興味があるという方は、ぜひ気になる本を手に取ってみてはいかがでしょうか?

 

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