【箱根駅伝】駒澤大学の歴史や出場回数&成績!有名選手についても

 

箱根駅伝の第78回大会(2002年)から第81回大会(2005年)に、史上5校目となる総合4連覇という偉業を達成した駒澤大学

往路でも3回、復路では9回優勝を飾っていることから、箱根駅伝の常連校・強豪校といえば駒澤大学の名前を思い浮かべる人も多いかもしれませんね。

実は駒澤大学が箱根駅伝で上位に名を連ねるようになったのは、1998年以降。

それまで駒澤大学はどのような歴史を歩んできたのでしょうか?

そこでここでは箱根駅伝における駒澤大学の歴史や、これまでの出場回数、成績と共に駒澤大学陸上競技部の監督や駒澤大学出身の有名な選手などについて、お伝えしていきたいと思います。

 

 

箱根駅伝での駒澤大学の歴史や出場回数&成績は?

 

それではまず、箱根駅伝における駒澤大学の歴史についてご紹介しますね。

箱根駅伝における駒澤大学の歴史

 

駒澤大学陸上競技部創部1966年(昭和41年)

箱根駅伝に初出場したのは第43回大会(1967年)のことでした。

駒澤大学の凄いところは、創部した次の年の1967年には箱根駅伝に初出場しているところ、そして初出場した第43回大会から第97回大会に至るまで連続出場しているところ。

出場回数56回で尚且つ連続出場回数56回(2022年現在)というのは、なかなか達成できることではありません。

とはいえシード権を毎年獲得するというのは難しく、長らく予選会の常連校となっていましたけれど、1990年代後半からシード権内に入るまでに急成長を遂げました

駒澤大学陸上競技部が今のように強くなった理由には、大八木弘明監督が就任したことが大きいと言われています。

第76回大会(2000年初優勝を飾ると、第78回大会(2002年)から第81回大会(2005年)まで、史上5校目(中央大・日本体育大・日本大・順天堂大・駒澤大)となる総合4連覇を達成

その後もシード権をほぼ毎年といえるほど獲得(※ 2009年の第85回大会・2018年の第94回大会を除く)し、優勝争いに絡む年も多く、シード校常連校・強豪校としてその名をとどろかせます。

第97回大会(2021年)では、10区のゴール近くでそれまで1位だった創価大学の選手を颯爽と追い抜いて、トップに躍り出たシーンは記憶に新しいかもしれませんね。

2021年11月7日に開催された第53回全日本大学駅伝では、5時間12分58秒で総合優勝・二連覇を達成し勢いに乗っている駒澤大学。

2022年の第98回箱根駅伝では二連覇を達成することはできませんでしたけれど、総合3位と上位をキープ。

まだまだ駒澤大学には勢いがあります。

2023年の第99回箱根駅伝、白熱する上位争いも楽しみですね。

 

大学三大駅伝の優勝記録はこちら
>>>大学三大駅伝の優勝記録一覧表
大学三大駅伝の歴代優勝記録をまとめてみた!

そのほかの箱根駅伝に関する記録は以下の通りです。

駒澤大学 箱根駅伝の成績

 

駒澤大学 箱根駅伝の成績
 記 録 回 数
出場回数 56回
シード出場回数 36回
総合優勝回数 7回
往路優勝回数 3回
復路優勝回数 9回
区間賞獲得数 42回

※ 2022年12月現在

 

駒澤大学 箱根駅伝の今までの順位記録

 

駒澤大学 箱根駅伝の今までの順位記録
回・年 総合順位 往路順位 復路順位
98回
2022年
3位 3位 9位
97回
2021年
1位 3位 2位
96回
2020年
8位 8位 8位
95回
2019年
4位 4位 4位
94回
2018年
12位 13位 10位
93回
2017年
9位 5位 11位
92回
2016年
3位 3位 3位
91回
2015年
2位 4位 2位
90回
2014年
2位 2位 2位
89回
2013年
3位 9位 1位
88回
2012年
2位 4位 2位
87回
2011年
3位 5位 3位
86回
2010年
2位 8位 1位
85回
2009年
13位 15位 7位
84回
2008年
1位 2位 1位
83回
2007年
7位 7位 7位
82回
2006年
5位 2位 11位
81回
2005年
1位 2位 1位
80回
2004年
1位 1位 1位
79回
2003年
1位 2位 1位
78回
2002年
1位 2位 1位
77回
2001年
2位 4位 4位
76回
2000年
1位 1位 1位
75回
1999年
2位 1位 5位
74回
1998年
2位 2位 2位
73回
1997年
6位 9位 1位
72回
1996年
12位 10位 15位
71回
1995年
13位 13位 13位
70回
1994年
11位 14位 10位
69回
1993年
6位 9位 6位
68回
1992年
8位 6位 10位
67回
1991年
9位 11位 8位
66回
1990年
14位 12位 13位
65回
1989年
6位 6位 7位
64回
1988年
12位 10位 10位
63回
1987年
12位 7位 14位
62回
1986年
4位 2位 8位
61回
1985年
11位 12位 8位
60回
1984年
12位 12位 12位
59回
1983年
12位 10位 12位
58回
1982年
13位 13位 14位
57回
1981年
8位 7位 8位
56回
1980年
11位 9位 13位
55回
1979年
12位 12位 9位
54回
1978年
13位 9位 13位
53回
1977年
7位 6位 8位
52回
1976年
7位 7位 8位
51回
1975年
9位 7位 9位
50回
1974年
12位 12位 12位
49回
1973年
9位 7位 11位
48回
1972年
9位 12位 9位
47回
1971年
9位 8位 10位
46回
1970年
10位 9位 11位
45回
1969年
13位 12位 15位
44回
1968年
14位 14位 14位
43回
1967年
13位 13位 14位
42回
1966年
~1回
1920年
本大会に出場なし

※2022年4月現在

 

参考 過去の記録箱根駅伝 東京箱根間往復大学駅伝競走公式ホームページ

 

箱根駅伝の歴代優勝校の記録はこちら
>>>箱根駅伝 歴代優勝校の記録
箱根駅伝 歴代優勝校の記録

 

駒澤大学出身の有名選手

 

それでは次に、駒澤大学出身で箱根駅伝に出場した選手として有名な、中村匠吾さんについてご紹介したいと思います。

 

駒澤大学出身の有名選手(中村匠吾)

 

★ 中村 匠吾(なかむら しょうご)

1992年9月16日生まれ 三重県四日市市出身

上野工業高校(現:伊賀白鳳高校)卒業

中村匠吾選手が陸上を始めたのは小学5年生のとき。

地元のクラブチームに入ったことがきかっけで、当時から長距離が得意だったそうですよ。

中学3年生のときに道具府県対抗駅伝の三重県代表に選ばれ、高校や実業団で活躍している選手と一緒に走ったことで、「高校ではもっと上を目指したい」と思うようになったのだとか。

そして、三重県では全国高校駅伝の常連校だった上野工業高校(現:伊賀白鳳高校)に入学すると、3年生のときに出場した2010年沖縄インターハイ5000m3位に入賞、同年10月には5000mで13分50秒38と当時の高校歴代7位の記録をマークし、注目を浴びるようになりました。

駒澤大学に入学後はケガの影響もあって目立った活躍は少なかったものの、4年生のときには主将を務め、第46回全日本大学駅伝4区区間賞を獲得。

続く第91回大会(2014年)箱根駅伝でも1区区間賞を獲得するなど、チームの柱としても活躍されました。

大学卒業後は富士通へ入社

社会人1年目に出場した、第63回全日本実業団対抗陸上競技選手権大会(2015年)の5000mでは日本人最高位となる6位に入賞

また、翌年2016年の第44回全日本実業団ハーフマラソンでも日本人トップとなる6位入賞

2018年3月に行われたびわ湖毎日マラソンでは日本人トップの7位に入賞、2019年9月マラソングランドチャンピオンシップ優勝を飾り、見事2020年東京オリンピックの日本代表選手に内定。

2021年8月8日に行われた2020年東京オリンピックでは62位という結果だったものの、次のパリオリンピックに向けて走り出しています。

 

【箱根駅伝での成績】
第89回大会(2013年) 3区 3位
第90回大会(2014年) 1区 2位
第91回大会(2015年) 1区 区間賞【大学卒業後の主な記録】2017年 日本陸上競技選手権5000m 3位
2018年 びわ湖毎日マラソン7位(日本人1位)
2019年 マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)優勝
【自己ベスト】
5000m 13分38秒93
10000m 28分05秒79
ハーフマラソン 1時間01分40秒
マラソン 2時間08分16秒

駒澤大学の大八木弘明監督について紹介!

 

それでは最後に、駒澤大学の大八木弘明監督や、駒澤大学陸上競技のについて簡単にご紹介したいと思います。

 

★ 大八木 弘明(おおやぎ ひろあき)監督について

1958年7月30日生まれ 福島県合図若松氏河東町出身

陸上競技に力を入れるようになったのは、中学2年生のとき。

校内のマラソン大会優勝したことがきっかけだったそうです。

中学3年生のときには、ジュニア選手権3000mで全国5位という素晴らしい成績を残し、高校のインターハイに出場することを目指していましたが、走りすぎによる疲労骨折と貧血に苦しめられ、辛い3年間を過ごすことになってしまいました。

さらに、家庭の事情もあって大学進学を諦め、小森印刷(現・小森コーポレーション)に就職

ですが、箱根駅伝で走る夢を諦めきれず会社を退職、勉強とトレーニングを惜しまず続けた甲斐もあって24歳で駒澤大学の夜間部に入学することができました。

箱根駅伝には3回出場し、うち2回は区間賞も獲得しています。

駒澤大学を卒業後は、ヤクルトに入社

陸上競技部のコーチ兼選手としてチームに貢献しました。

1995年4月駒澤大学陸上競技部のコーチに就任2004年4月から同監督に就任し、現在に至ります。

 

駒澤大学陸上競技部のここに注目!

 

第97回大会(2021年)箱根駅伝では13年振りに総合優勝に輝いた駒澤大学。

その強さはいったいどこからくるのでしょうか?

駒澤大学陸上競技部には毎年恒例の夏合宿があります。

この合宿で、駅伝シーズンに向けての身体づくりが始まるんですね。

起伏のある野尻湖で脚力を鍛えたり、標高が高い志賀高原で心肺機能を鍛えるといったトレーニングを約3週間に渡って行っているということ。

また、こうしたトレーニングだけではなく、コンディション管理にも重点を置いていて、1年生はスポーツに関わる栄養学を指導を受けたり、貧血を予防するための鉄分の重要性など、陸上を行う上で必要な知識を身に付けているのだそうです。

そして栄養面に関しては、寮母である大八木弘明監督夫人の京子さんが朝と夜の食事管理を行っていますが、自己管理となるお昼は近くのコンビニ弁当に頼らず、より栄養面で優れていて、品揃えが豊富なお弁当屋さんまで選手自ら足を伸ばすこともあるのだとか。

さらに、疲労回復に効果があると言われている乳酸菌が入ったゼリー飲料、「ボディメンテゼリー(大塚製薬)」を補食としてプラス。

ヨーグルト風味ということで、味も美味しく飲みやすいと選手たちからも好評のようです。

ゼリー飲料は持ち運びもしやすいので便利ですよね。

京子さんは食事面だけではなく、選手のメンタル面でも支えてくれる大きな存在でもあるのですよ。

体調と栄養に対する意識が高い選手とそうでない選手では少なからず結果に表れるそうで、こうしたコンディションの意識の差というのも、駒澤大学の強さの秘訣と言えそうですね。

参考 学生駅伝の名門、駒大復活の舞台裏 大会前にボディメンテを使った理由 THE ANSWER

 

駒澤大学を応援するのに参考になるサイトも紹介!

 

・駒澤大学陸上競技部公式HP
参考 トップページ駒澤大学陸上競技部公式サイト

・駒澤大学スポーツ新聞編集部 コマスポ
参考 陸上競技部駒澤大学スポーツ新聞編集部 コマスポ

・駒大スポーツ陸上班 Twitter
参考 駒大スポーツ陸上班Twitter

 

【箱根駅伝】駒澤大学まとめ

 

駒澤大学陸上競技部の箱根駅伝での歴史や記録、そして監督などについてご紹介してきました。

シード権内でも比較的上位の成績を残している印象があったのですが、第84回大会(2008年)以降、総合優勝からは遠ざかっていた駒澤大学。

それが第97回箱根駅伝では総合1位に返り咲きました。

第98回(2022年)の箱根駅伝では、第97回大会(2021年)に引き続いて2連覇を狙うも総合3位。

第99回(2023年)の箱根駅伝でも確実に上位争いに食い込んでくると思われます。

白熱した箱根駅伝の上位争いが観られそうで今から楽しみですね。

 

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