箱根駅伝で明治大学といえば、常連校としても有名ですよね。
また、紫のユニフォームに「M」の文字が描かれているのを思い出す人も多いのではないかと思います。
ですが、近年は青山学院大学や、東海大学の陰に隠れてしまっている印象もある明治大学。
過去に総合優勝を7度も経験している明治大学ですが、第96回大会(2020年)では5年振りにシード権を獲得したということで、常に上位成績だったわけではなかったようです。
では、明治大学が箱根駅伝に初出場したのはいつだったのでしょうか?
これまでの出場回数や過去最高順位など、気になる点がたくさんあるかもしれません。
また、10000mのタイムはいいのに毎年の箱根駅伝は・・・?という疑問についても調べてみました。
さらに明治大学体育会競走部について、これまでの箱根駅伝での歴史や体育会競走部の様子などなど順番にご紹介していきたいと思います。
箱根駅伝での明治大学の歴史や出場回数&成績は?
それではまず、箱根駅伝における明治大学の歴史や出場回数、そして箱根駅伝での成績についてご紹介していきたいと思います。
箱根駅伝における明治大学の歴史
明治大学体育会競走部の創部は1907年(明治40年)。
なんと、明治40年なんです!
部活動の名前が陸上競技部とか駅伝部とかではなく、体育会競走部というも珍しいなと思ったんですが、明治40年に創部されたというのを聞くと、部活動の名前にも歴史を感じますね。
そして、明治大学が箱根駅伝に初出場したのは、こちらも驚きの第1回大会!
しかも、この第1回大会の出場校はたったの4校で、明治大学(2位)の他には、優勝した東京高等師範学校、3位は早稲田大学、4位は慶応義塾大学という豪華な顔ぶれ。
当然、この頃はまだシード権といったものはなく、出場校も10校前後と今よりも小さい規模で行われていました。
とはいっても、第2回大会で初優勝(全7チーム)を飾ると、第5回(全9チーム)・6回大会(全10チーム)と2連覇するなど、明治大学は箱根駅伝大会をリードする存在であったことは確かだったようです。
ですが、出場校が15校となった第31回大会(1955年)以降、中央大学と日本大学が1位2位を争う年が続き、第41回大会(1965年)からは順天堂大学が、第49回大会(1973年)からは大東文化大学などが上位を占める形に。
そしてついに、第51回大会(1975年)から第59回大会(1983年)まで、明治大学は箱根駅伝の本戦から姿を消すことになります。
第60回大会(1984年)から再び箱根の地に踏み入れるも下位に甘んじる年が続き、そしてなんと、68回大会(1992年)から80回大会(2004年)まで、箱根駅伝不出場となってしまったのです。
こんなにも長い間、箱根駅伝に出場していなかったというのは正直驚きました。
第85回大会(2009年)で5位に浮上すると、第88回大会(2012年)には3位と順位を上げ、シード権内に入ることも多くなっていきます。
第94回大会(2018年)に予選会を突破できず、本戦の出場を逃すも、第95年大会(2019年)は予選会から勝ち上がり17位、第96回大会(2020年)には箱根駅伝の予選会から勝ち上がり6位と大健闘。
5年振りのシード権を獲得しました。
第97回大会(2021年)の箱根駅伝では、11位とあと一歩シード権には届かずでしたけれど、箱根駅伝2022の予選会では1位で通過し、第98回大会(2022年)の復路では3位と健闘するも総合14位という結果に。
第99回大会(2023年)も総合12位という結果。
箱根駅伝で安定してシード権を獲得するということは、そう簡単に出来るものではないのでしょうね。
2023年7月をもって山本佑樹駅伝監督が辞任して、後任として8月1日より、山本豪(現・副監督)が駅伝監督として就任することになりました。
箱根駅伝予選会まで3ヵ月もない時期での監督交代だったのですけれど、第100回記念大会の予選会は地方の大学含め57校と競争し、本戦への出場権を手に入れました。
新しい監督のもと、どのような戦いを見せてくれるのか?気になるところです。
そのほかの細かい記録は、以下をご覧ください
明治大学 箱根駅伝の成績
明治大学 箱根駅伝の成績 | |
記 録 | 回 数 |
出場回数 | 64回 |
シード出場回数 | 15回 |
総合優勝回数 | 7回 |
往路優勝回数 | 5回 |
復路優勝回数 | 5回 |
区間賞獲得数 | 56回 |
※ 2023年12月現在
明治大学 箱根駅伝の今までの順位記録
明治大学 箱根駅伝の今までの順位記録 | |||
回・年 | 総合順位 | 往路順位 | 復路順位 |
99回 2023年 | 12位 | 12位 | 13位 |
98回 2022年 | 14位 | 17位 | 3位 |
97回 2021年 | 11位 | 14位 | 7位 |
96回 2020年 | 6位 | 5位 | 4位 |
95回 2019年 | 17位 | 11位 | 21位 |
94回 2018年 | 本大会に出場なし | ||
93回 2017年 | 18位 | 17位 | 16位 |
92回 2016年 | 14位 | 17位 | 9位 |
91回 2015年 | 4位 | 2位 | 6位 |
90回 2014年 | 6位 | 7位 | 7位 |
89回 2013年 | 7位 | 4位 | 13位 |
88回 2012年 | 3位 | 3位 | 3位 |
87回 2011年 | 5位 | 4位 | 7位 |
86回 2010年 | 10位 | 6位 | 14位 |
85回 2009年 | 8位 | 7位 | 9位 |
84回 2008年 | 本大会に出場なし | ||
83回 2007年 | 16位 | 11位 | 19位 |
82回 2006年 | 18位 | 16位 | 19位 |
81回 2005年 | 18位 | 16位 | 19位 |
80回 2004年 ~68回 1992年 | 本大会に出場なし | ||
67回 1991年 | 14位 | 6位 | 15位 |
66回 1990年 | 本大会に出場なし | ||
65回 1989年 | 11位 | 13位 | 8位 |
64回 1988年 | 10位 | 12位 | 6位 |
63回 1987年 | 14位 | 14位 | 12位 |
62回 1986年 | 15位 | 12位 | 15位 |
61回 1985年 | 15位 | 15位 | 14位 |
60回 1984年 | 18位 | 18位 | 17位 |
59回 1983年 ~51回 1975年 | 本大会に出場なし | ||
50回 1974年 | 17位 | 15位 | 17位 |
49回 1973年 | 本大会に出場なし | ||
48回 1972年 | 15位 | 15位 | 15位 |
47回 1971年 | 本大会に出場なし | ||
46回 1970年 | 本大会に出場なし | ||
45回 1969年 | 15位 | 15位 | 9位 |
44回 1968年 | 本大会に出場なし | ||
43回 1967年 | 15位 | 15位 | 12位 |
42回 1966年 | 10位 | 10位 | 8位 |
41回 1965年 | 8位 | 10位 | 7位 |
40回 1964年 | 9位 | 7位 | 8位 |
39回 1963年 | 2位 | 4位 | 1位 |
38回 1962年 | 2位 | 4位 | 2位 |
37回 1961年 | 5位 | 3位 | 5位 |
36回 1960年 | 10位 | 10位 | 10位 |
35回 1959年 | 本大会に出場なし | ||
34回 1958年 | 本大会に出場なし | ||
33回 1957年 | 14位 | 11位 | 15位 |
32回 1956年 | 14位 | 15位 | 13位 |
31回 1955年 | 本大会に出場なし | ||
30回 1954年 | 5位 | 4位 | 5位 |
29回 1953年 | 4位 | 5位 | 7位 |
28回 1952年 | 4位 | 3位 | 4位 |
27回 1951年 | 2位 | 2位 | 3位 |
26回 1950年 | 3位 | 3位 | 4位 |
25回 1949年 | 1位 | 1位 | 2位 |
24回 1948年 | 3位 | 6位 | 4位 |
23回 1947年 | 1位 | 1位 | 3位 |
22回 1943年 | 本大会に出場なし | ||
21回 1940年 | 本大会に出場なし | ||
20回 1939年 | 本大会に出場なし | ||
19回 1938年 | 失格 | 2位 | 2位 |
18回 1937年 | 3位 | 2位 | 5位 |
17回 1936年 | 8位 | 9位 | 9位 |
16回 1935年 | 5位 | 3位 | 6位 |
15回 1934年 | 6位 | 5位 | 6位 |
14回 1933年 | 4位 | 4位 | 4位 |
13回 1932年 | 9位 | 9位 | 7位 |
12回 1931年 | 5位 | 6位 | 4位 |
11回 1930年 | 2位 | 4位 | 3位 |
10回 1929年 | 1位 | 2位 | 1位 |
9回 1928年 | 1位 | 1位 | 2位 |
8回 1927年 | 3位 | 2位 | 3位 |
7回 1926年 | 2位 | 2位 | 1位 |
6回 1925年 | 1位 | 2位 | 1位 |
5回 1924年 | 1位 | 2位 | 1位 |
4回 1923年 | 4位 | 1位 | 5位 |
3回 1922年 | 3位 | 5位 | 2位 |
2回 1921年 | 1位 | 2位 | 2位 |
1回 1920年 | 2位 | 1位 | 3位 |
※ 2023年12月現在
※ 第19回大会(1938年)明大が出場選手の資格に疑義ありで失格となる。
参考
過去の記録箱根駅伝 東京箱根間往復大学駅伝競走公式ホームページ
箱根駅伝の歴代優勝校の記録はこちら
>>>箱根駅伝 歴代優勝校の記録
[kanrenc id=”7785″]
10000mのタイムはいいのに箱根駅伝では・・・?その理由を考えてみた!
改めて過去の順位や成績などをみてみると、明治大学が箱根駅伝に出場すらできなかった年がかなりあるのですよね。
また、箱根駅伝に出場してはいるものの、シード校としての出場は思ったより多くないのです。
明治大学は選手たちは10000mのタイムはいいのに、なぜ毎年箱根駅伝では・・・なのか?と疑問に思う人もいるようですね。
明治大学の鈴木聖人選手はその点に関して、流れを変えるような強さやロードで勝ち切る強さが必要だと分析しています。
「確かに10000mの記録では(今年の箱根駅伝の)各区間の上位だった選手も明治にはいたのに、流れを変えるような強さが足りないと感じました。記録をもっていてもレースではトップでゴールできる選手は少ないです。そういう勝ちきる強さが必要だと思いました」
実際に、10000mを走るのと、ハーフマラソンを走るのでは全く別物として考える必要があります。
また、トラックを走るのとロードを走るのとでも全く違うのですよね。
トラック競技だけでは、箱根駅伝の予想することはできません。
ロードが弱いのは、設備の問題や、箱根駅伝のような長い距離を走るための練習が不足しているから、と練習量の問題もあるよう。
練習拠点の問題や寮の立地の問題といった、選手たちの努力では変えられない環境の問題も少なからず影響あるかもしれません。
選手層の薄さという指摘もあります。
確かに、箱根駅伝で毎年シード校となっている常連校に実力のある新入生が集まる傾向は否めません。
20キロ以上走り切れる選手が10名以上いないと、箱根駅伝で強豪校と肩を並べて闘っていくのは難しいでしょう。
ただ、タイム記録などをみても選手たちの持っている実力そのものは、決して劣っているともいえないのですよね。
箱根駅伝で闘うのに必要なのは、速さではなく強さとよく言われるのですけれど、トラックという平坦な走る条件の整った場所で走るのと、一般道路の山あり谷あり、時には海風といった気候の影響も大きく受けやすいロードを走るのとでは求められるものが大きく違うのでしょうね。
現在シード校の常連校となっている大学を見ていると、強くなるために5年、10年スパンで考えて選手たちを育てるだけでなく、大学側がかなり力を入れてスカウトしたり、環境を整えたりと強化を図って、今に至っているように感じます。
トラックでも速い、ロードでも強い、明治大学のチームがそういわれるチームに育っていくことを期待しています。
明治大学出身の有名選手
それでは次に、明治大学出身の注目選手、そして現在在学中の注目選手についてご紹介したいと思います。
明治大学出身の有名選手(阿部弘輝)
★ 阿部 弘輝(あべ ひろき)
【経歴やどんな選手か?魅力なども】
1997年11月19日生まれ 福島県須賀川市出身。
学校法人石川高等学校卒業。
阿部弘輝選手は野球の体力づくりをするために、大会期間中だけ活動していた特設陸上部に勧誘されたことがきっかけで、本格的に長距離に取り組むようになったんだそうです。
元々は陸上ではなく野球をしていたんですね。
阿部弘輝選手は、現:旭化成で東洋大学出身の相澤晃選手とのライバル関係が多く伝えられていますが、高校時代はチームメイトで、さらに地元の円谷ランナーズというスポーツ少年団にも所属していたそうですよ。
ライバルとはいえ、よく知った仲なのかもしれませんね。
高校時代には、2年連続で全国高校駅伝に出場していて、2年生のときは6区を走り区間4位、3年生のときには1区を走り区間10位という成績を残しています。
明治大学に進学してからも箱根駅伝には3度出場していますが、順風満帆な選手生活ではなかったようです。
チームの箱根駅伝予選落ちに加えて、関東インカレでは2部に降格するなど、悔しい思いも経験しました。
さらに、大学4年生になって6月を過ぎた頃、体に違和感があったという阿部弘輝選手。
ラストイヤーにも不運が訪れます。
イタリアのナポリで行われたユニバーシアード男子10000mでは銀メダルを獲得したものの、続くホクレンディスタンスチャレンジ網走大会5000mへの出場を最後に、レースから遠ざかってしまうことになってしまうのです。
実はこのとき、右の股関節と腸腰(ちょうよう)を痛めていて、2ヶ月間、全く走ることができませんでした。
ですが、主将としての役割を果たすべく、夏の合宿ではチーム内で怪我をしている選手を集めてミーティングを行い、練習再開に向けての具体的なアドバイスを行っていたのだそうです。
阿部弘輝選手自身も練習ができないという状況の中でのこうした取り組みは、とても素晴らしいですよね。
治療とリハビリの効果もあり、少しずつ状態が上向きになってきた阿部弘輝選手でしたが、箱根駅伝の予選会への出場は見送り、サポート役に徹しました。
箱根駅伝の予選会で明治大学は4位で突破、チームは箱根駅伝本戦への切符を手にしました。
「阿部さんが走れないのは分かっていたから、自分がやってやる」という気持ちが、下級生たちを奮い立たせたといいます。
阿部弘輝選手の存在感と信頼がチームを一つにしたんですね。
そして、阿部弘輝選手自身の調整の成果もあって、大学生活最後の箱根駅伝は7区を快走。
なんと、区間賞と区間新記録を同時に獲得、笑顔で終えることができて本当に良かった。
2020年4月には住友電工へ入社、陸上競技部に所属。
第63回(2020年)関西実業団対抗駅伝競走大会では4区で区間賞と区間新記録を樹立しました。
【箱根駅伝での成績】
第93回大会(2017年) 4区 区間13位
第95回大会(2019年) 3区 区間2位
第96回大会(2020年) 7区 区間賞(区間新)
【大学卒業後の主な記録】
第63回関西実業団駅伝 4区 区間賞(区間新記録)
【自己ベスト】
5000m 13分37秒19(年)
10000m 27分56秒45(2018年)
ハーフマラソン 1時間02分16秒(2018年)
明治大学の山本豪監督について紹介!
それでは最後に、明治大学の山本豪監督や、明治大学体育会競走部についてご紹介したいと思います。
★ 山本豪 監督について
1973年生まれ 静岡県出身。
日本大学時代に日本選手権1500m優勝、全日本インカレ1500m優勝、箱根駅伝3回出場。卒業後はエスビー食品で陸上競技を続け、2003年現役引退。同年本学競走部長距離コーチ、2018年より本学競走部副監督に就任。2023年8月駅伝監督就任。
明治大学体育会競走部のここに注目!
明治大学体育会競走部のここに注目!という点について紹介したいと思います。
明治大学体育会競走部の練習拠点は、八幡山グラウンド。
全天候型の400mトラックには時折東京近郊の実業団チームも練習に訪れることもあるので、選手たちには良い刺激になっているのだそう。
そのほか、砧公園のサイクリングコースや多摩川の河川敷、駒沢公園内のサイクリングコースなどでランニングを行います。
また、個人練習の場所として、明治大学泉キャンパスと駿河台キャンパス内にあるトレーニングルームなどを利用することも。
競走部の合宿所は八幡山グラウンドに隣接しているので、練習後のシャワーや食事なども済ませることができるというのはとっても便利ですね。
各キャンパスとのアクセスも良いので、生活もしやすいと評判です。
明治大学を応援するのに参考になるサイトも紹介!
・明治大学体育会競走部公式ウェイブサイト
参考
トップページ明治大学体育会競走部公式ウェブサイト
・X(旧Twitter)明治大学体育会競走部
参考
明治大学体育会競走部X(旧Twitter)
【箱根駅伝】明治大学まとめ
明治大学体育会競走部について、箱根駅伝での歴史や記録、そして監督や練習環境などについてご紹介してきました。
明治大学は箱根駅伝の常連校というイメージがありましたが、過去に2回度も10年近く箱根駅伝に出場していない時期があったというのは、とても驚きました。
第96回大会(2020年)では5年振りにシード権を獲得したことで、チーム内にも活気が戻りました。
そして、97回大会・第98回大会・第99回大会も予選通過からの出場になりましたけれど、連続で箱根駅伝に出場しています。
2023年の予選会を無事突破、第100回箱根駅伝本選でどこまで順位を上げられるのか?期待したいですね。