東洋大学の箱根駅伝の歴史や強さの理由は?2代目山の神 現在は?

第95回大会の箱根駅伝終了時において、往路優勝は7回、そして総合優勝は4回という素晴らしい成績を残している東洋大学。

箱根駅伝の出場回数が77回というのも、歴代1位の中央大学や、歴代2位の早稲田大学などに次いで5番目に多い数字なんです。

そして、シード権(翌年の箱根駅伝の予選会が免除される上位10位以内の成績)を獲得している回数はなんと44回。

この数字を見ても、東洋大学は安定した強さがあることがうかがえますよね。

東洋大学の強さには、いったいどんなことが隠されているのでしょうか?

また、2代目「山の神」と呼ばれた柏原竜二さんの現在は?

そこでここでは、東洋大学の歴史を振り返りながら、東洋大学の強さの理由や2代目山の神、柏原竜二さんの今に迫ってみたいと思います。

 

東洋大学の箱根駅伝における歴史とは?

 

それではまず、東洋大学は箱根駅伝でどんな成績を残してきたのでしょうか。

その歴史をかんたんに振り返ってみたいと思います。

【東洋大学 箱根駅伝における歴史】

東洋大学に陸上競技部が創部されたのは1927年。

1933年、初めて東洋大学が箱根駅伝に出場。

しかし、当時の東洋大学は最下位争いの常連と呼ばれるほど、低迷している時期が続いていたと言います。

1956年ごろから、翌年の箱根駅伝の予選会が免除になるシード権が与えられる上位10校に入る常連校となり、1960年には過去最高の3位まで順位を上げることができました。

1970年代にはシード権を争う常連校として名を馳せるようになり、「ロードの東洋大」「復路の東洋大」と呼ばれることもあったそうです。

ですが、このシード権争いも長くは続かず、1986年以降は再び下位に沈むことも多くなり、しまいには1992年(第68回大会)において、箱根駅伝の連続出場が44回で途切れてしまうことに。

2003年(第79回大会)以降、再びシード権を争うまでになったものの、2008年に強制わいせつ行為で部員が逮捕されるという不祥事を起こしてしまい、箱根駅伝への出場が危ぶまれましたが、関東学生陸上競技連盟が2009年(第85回大会)箱根駅伝への出場を許可。

この年の箱根駅伝では、のちに2代目山の神と呼ばれることになる柏原竜二選手の活躍もあいまって、往路・復路ともに初優勝を果たし、箱根駅伝に初出場してから実に76年目、67回目の出場で初の総合優勝を飾りました。

この記録は、箱根駅伝史上最も遅い総合優勝の記録なんだそうです。

初の総合優勝を皮切りに、2010年(第86回大会)、2012年(第88回大会)、2014年(第90回大会)でも総合優勝を果たし、以降、総合順位は3位以上という素晴らしい成績を残しています。

記憶に新しい2019年(第95回大会)箱根駅伝でも、往路で優勝し、総合では3位という成績。

一時は低迷していた東洋大学ですが、今ではシード権争いどころか優勝争いの常連校となるなど、安定した強さを誇っている東洋大学。

なぜ、東洋大学はこれほどまでに強くなっていったのでしょうか?

次の見出しで詳しく見ていきたいと思います。

参考 東洋大学陸上競技部Wikipedia

 

東洋大学の箱根駅伝での強さの理由はチームワーク?

 

それでは次に、東洋大学の強さの理由について、詳しく見ていきたいと思います。

東洋大学では、毎週月曜日のメニューは選手が自由に決められることになっています。

練習をするも良し、休みを取ってリフレッシュするも良し、何をするかは選手に一任されている、ということなんですね。

ふつう、何をしても良いと言われると、つい、休みたくなってしまうものですが、下級生たちは自主的に集まり、体幹や補強のトレーニングをしていたのだそうです。

授業もあって忙しい中、トレーニングに励む下級生たちの姿を見て、3、4年生たちは刺激を受けたと言います。

大会本番に出場するのは3、4年生が中心となることが多い駅伝ですが、下級生たちの姿がチーム内の相乗効果を生み、チーム全体の底上げに繋がったとも言えるようです。

また、2009年から監督を務める酒井俊幸監督の指導一つとして、競技をしている学生の過ごし方を明確にして、自分たちで考え行動させるというものがあります。

酒井俊幸監督曰く、ふつうの大学生の時間の過ごし方と、競技をしている学生の過ごし方は大きく違い、生活習慣などの自己管理が大事になってくると言います。

箱根駅伝が目標なのか、オリンピックが目標なのか、それによって生活レベルも変わってくるので、目標達成のために競技者としてやるべきことを、当たり前のことを当たり前にすることが重要である、という考えがあるんですね。

東洋大学の選手はTwitterをやっていないということで、これも生活指導の一環なのかな?と思ったのですが、情報を求められる箱根駅伝の前だからこそ、チームが大会に向けて動いている状況ではTwitterで発信するのはやめようと、選手たちが決めたことなのだそうです。

酒井俊幸監督の教えがもたらした、こうした生活習慣のチームワークも、強さの基盤になっていると言えるのかもしれませんね。

 

東洋大学出身の二代目山の神 柏原 竜二とは?現在は?

 

それでは最後に、東洋大学で2代目の山の神と呼ばれた柏原竜二さんについてご紹介したいと思います。

箱根駅伝の5区は山上りの区間になっていて、高低差もさることながら気温差も激しく、とても険しい区間と言われています。

そんな5区を4年連続で走り、4年連続で区間賞を獲得、また、もっとも活躍した選手に贈られる「金栗四三杯」を3度も受賞。

さらに、5区の区間記録を3度更新したことから「山の神」と呼ばれるようになりました。

なぜ2代目という言葉が付くのかというと、順天堂大学で大活躍した今井正人さんが初代山の神と呼ばれていたからなんです。

そんな柏原竜二さんですが、東洋大学を卒業した後は富士通に入社。

2015年9月にシドニーマラソンに出場するも、アキレス腱などの故障に悩まされ、2017年4月、27歳にして現役引退を発表。

現在は、陸上教室やゲストランナーなどの依頼は可能な限り対応しながら、アメリカンフットボールチームの「富士通フロンティアーズ」のマネージャーも務めているそうですよ。

そして、2019年4月16日には、BS11の八木菜緒アナウンサーとの結婚を発表しました!

まだお子さまの話は上がっていませんが、柏原Jrも陸上の道に進むことになるのでしょうか。

ちょっと気になりますね。

参考 柏原竜二Wikipedia

 

東洋大学(箱根駅伝)まとめ

 

東洋大学の箱根駅伝での歴史や強さの理由、そして2代目山の神こと柏原竜二さんについて見てきましたが、いかがでしたでしょうか?

下級生たちが自主的にトレーニングに励むことで、チーム内で切磋琢磨するようになり、それを見てきた後輩たちがその意思を自然と受け継ぐ、そういったいった流れが近年の東洋大学の強さに繋がっているのかもしれませんね。

体感して得たものは力になるというのが、分かる気がします。

そして、2代目山の神と呼ばれた柏原竜二さんの選手生活は怪我のために長くは続かなかったようですが、ご結婚されたというとてもおめでたいニュースが飛び込んできました。

現役は引退しても、スポーツに関わる仕事をされているということですから、また別の分野で活躍されることを楽しみにしたいと思います。

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