【箱根駅伝】早稲田大学の歴史や出場回数&成績!有名選手についても

早稲田大学といえば、学業の面においても非常に有名ですし、六大学野球を含めてあらゆるスポーツでもトップクラスというイメージを持つ方も多いのではないでしょうか。

もちろん箱根駅伝も例外ではありません。

箱根駅伝の第1回大会から出場している早稲田大学は、箱根駅伝の常連校としてもお馴染みですよね。

そんな早稲田大学ですが、実は第95回大会(2019年)の箱根駅伝では13年振りにシード権を逃し、苦い経験を味わっているんです。

そして、その屈辱を晴らすべく、第96回大会(2020年)では予選会を勝ち抜き、本戦では見事総合7位でシード権を獲得。

栄光も屈辱も知っている早稲田大学競走部は、いったいどんな歴史を歩んできたのでしょうか?

過去5年間の記録も気になるところです。

そこでここでは、早稲田大学競走部について、箱根駅伝での歴史や注目選手、競走部の様子などについてお伝えしていきたいと思います。

 

箱根駅伝での早稲田大学の歴史や出場回数&成績は?

 

それではまず、箱根駅伝における早稲田大学の歴史や、箱根駅伝の出場回数、そして箱根駅伝での成績についてご紹介していきたいと思います。

箱根駅伝における早稲田大学の歴史

早稲田大学競走部の創部は1914年(大正3年)

箱根駅伝には第1回大会(1920年)から出場していて、たすきの色は臙脂(えんじ)に早稲田大学の文字が白糸で施されています。

シード権を逃した年もありますが、箱根駅伝には44回連続出場を継続中で、この44回連続というのは日本体育大学72回、駒澤大学54回に次ぐ3番目に多い数字となっています。

箱根駅伝への連続出場は継続中の早稲田大学競走部ですが、第95回大会(2019年)に13年振りにシード権を逃した際には、選手たちも頭が真っ白な状態だったと言います。

翌年の予選会当日も、体調不良の選手もいたために9位というギリギリの順位で予選を通過。

「箱根駅伝では3位以内」という目標を掲げていましたが、現状では厳しいと考えた相楽豊監督は目標を「シード権獲得」に変えようと提案したところ、下方修正するのではなく、「高い目標に合わせてみんなで変わろう」という意見があったのだそうです。

そんな選手たちの意識改革が功を奏し、第96回大会(2020年)では総合7位。

名門復活の兆しが見え始めました。

2010年には大学三大駅伝と呼ばれている箱根駅伝、出雲駅伝、全日本大学駅伝のすべてで優勝を飾り、三冠も達成しています。

そのほかの細かい記録は、以下をご覧くださいね。

●出場回数: 89回

●シード権獲得回数: 46回 

●総合優勝回数: 13回

●往路優勝回数: 13回

●復路優勝回数: 16回

●区間賞獲得数: 119回

●過去5年間の成績

92回(2016年):総合  7位・往路  9位・復路 5位
93回(2017年):総合 12位・往路 15位・復路 7位
94回(2018年):総合  3位・往路  3位・復路 7位
95回(2019年):総合  3位・往路  2位・復路 9位
96回(2020年):総合  4位・往路  5位・復路 5位

参考 早稲田大学箱根駅伝 東京箱根間往復大学駅伝競走

 

早稲田大学出身で箱根駅伝の有名選手は?

 

それでは次に、早稲田大学出身の有名選手についてご紹介したいと思います。

【早稲田大学出身の有名選手】

●大迫 傑(おおさこ すぐる)

●経歴やどんな選手か?魅力なども

1991年5月23日生まれ 東京都町田市出身

佐久長聖高校卒業

大迫傑選手が本格的に陸上競技を始めたのは中学生のころ。

中学3年生のときに出場した第33回全日本中学校陸上競技選手権大会の3000mでは3位に入賞しています。

佐久長聖高校に進学した大迫傑選手は、高校2年生のときに出場した全国高校駅伝のアンカーを務め区間賞を獲得、チームの初優勝に大きく貢献しました。

また、高校3年生のときに出場した全国高校駅伝でも1区で区間賞を獲得しているということで、高校生のときから凄い選手だったんだなということが分かりますね。

高校を卒業後は、早稲田大学へ進学。

大学1年生のときに出場した第42回全日本大学駅伝では2区を走り7人のごぼう抜きを見せると、つづく第23回上尾シティマラソンにおいても当時のジュニア記録を更新する1時間10分47秒で優勝。

箱根駅伝でも4年連続で出場したうち、2年連続1区で区間賞を獲得するなど、チームの柱としても活躍しました。

早稲田大学を卒業後、日清食品グループへ入社すると同時に、ナイキ・オレゴン・プロジェクトにも在籍。

社会人になってからも、2014年アジア競技大会の10000mで銀メダル、そしてReiti meetingu2014では3000mで7分40秒09という記録を叩き出し、日本記録を更新をしています。

2015年に日清食品グループを退社してプロランナーへ転向、ナイキ・オレゴン・プロジェクト所属のランナーとして活躍中です。

その後も2016年リオオリンピック、2013年と2015年の世界選手権など大舞台を経験、さらには2017年ボストンマラソンで3位、2017年福岡国際マラソン3位など、国内外問わず数々の好成績を残しています。

なんといっても、3000mと5000mの2つの競技で日本記録保持者というのですから、本当に凄いですよね。

2019年には著書「走って、悩んで、見つけたこと。」を出版されています。

興味のある方は読んでみてはいかがでしょうか。

参考 走って、悩んで、見つけたこと。Amazon

●箱根駅伝での成績
第87回大会(2011年) 1区 区間賞
第88回大会(2012年) 1区 区間賞
第89回大会(2013年) 3区 区間2位
第90回大会(2014年) 1区 区間5位

●自己ベスト
30000m 7分40秒09(日本記録)
5000m 13分08秒40(日本記録)
10000m 27分38秒31
ハーフマラソン 1時間01分01秒
マラソン 2時間05分29秒(日本記録)

 

●瀬古 利彦(せこ としひこ)

●経歴やどんな選手か?魅力なども

1956年7月15日生まれ 三重県桑名市出身

四日市工業高校高校卒業

瀬古利彦さんは1970年代後半から1980年代にかけて、宗兄弟(宗茂・宗猛)兄弟とともに日本長距離界をリードしたことでも知られています。

かなり経歴が長い方ですので、ここでは簡単にご紹介していきますね。

瀬古利彦さんが陸上を本格的に始めたのは高校生になってから。

中学生の頃までは野球に熱心で、甲子園を目指していたそうです。

しかし、中学1年生のときに学校内の5000m大会で優勝をしたことで、陸上部から声がかかって、陸上の大会に出場するようになりました。

市内の陸上大会や三重県の陸上大会で優勝をしたことで、瀬古利彦さん自身も陸上に魅力を感じ始めます。

そして、陸上競技の強豪校、四日市市工業高校へ進学。

中距離走で頭角を現し、数々のインターハイを総なめ、茨城国体では2年連続で1500mと5000mの2冠を達成しました。

全国高校駅伝にも3年連続で花の1区で出場して、2年生のときには区間賞も獲得しています。

大学入学時には、関東の大学から誘いも多く、一時は中央大学への入学が決まりかけていましたが、早稲田大学OBからの誘いもあって早稲田大学の一般入試で受験するも、不合格に。

高校を卒業後は南カルフォルニア大学に在籍しながらの浪人生活を経て、翌年、早稲田大学に見事合格。

当時は、スポーツの推薦入試というようなものがなかったそうなんです。

そして、早稲田大学に入学後、競走部監督(故・中村清さん)からの勧めで中距離からマラソンへ転向。

箱根駅伝では4年連続で花の2区を走り、2年連続で区間賞を獲得しています。

早稲田大学を卒業後はヱスビー食品に入社。

1981年4月に行われたボストンマラソンでは日本人として7人目の優勝を飾りましたが、後の欧州遠征中に脚を故障してしまい、1年以上マラソンのレースに出場することができませんでした。

1年10ヶ月ぶりとなる1983年2月の東京国際マラソンでは日本人初の2時間8分台(1時間8分38秒)を記録し見事復帰戦で優勝を飾ると、同年12月の福岡国際マラソンでも優勝し、ロサンゼルスオリンピックの日本代表選手に選ばれましたが、疲労が抜けない状態でハードな練習を重ねていたこともあり、ロサンゼルスオリンピック本番では実力を発揮することができず14位という結果に。

その後も、フルマラソンやワールドカップマラソン、自身3度目のボストンマラソンなど多くのレースに出場しました。

そして、1988年に行われた第1回国際千葉駅伝で日本チームのアンカーを務めたことを最後に、現役を引退。

現役を引退後は、ヱスビー食品スポーツ推進局局長を経て、2016年からDeNAランニングクラブ総監督(2019年からはエグゼクティブアドバイザー)に就任。

また、2016年11月より、日本陸上競技連盟の強化委員会マラソン強化戦略プロジェクトリーダー兼任理事に就任し、マラソン中継の解説者としても活躍しています。

●箱根駅伝での成績
第53回大会(1977年) 2区 11位
第54回大会(1978年) 2区 2位
第55回大会(1979年) 2区 区間新
第56回大会(1980年) 2区 区間新

●自己ベスト
5000m 13分24秒29
10000m 27分42秒17
20000m 57分48秒07(アジア記録)
25000m 1時間13分55秒08(アジア記録)
30000m 1時間29分18秒08(アジア記録)
マラソン 2時間08分27秒

 

早稲田大学の相楽豊監督&競走部について紹介!

 

それでは最後に、早稲田大学の相楽豊監督や、早稲田大学競走部についてご紹介したいと思います。

●相楽 豊(さがら ゆたか)監督について

1980年5月2日生まれ 福島県郡山市出身

安積高等学校を卒業後、早稲田大学へ進学。

現役時代は3000m障害を中心に活躍されました。

箱根駅伝では、1年生のときに5区を、3年生のときには6区を走り、いずれもチームのシード権獲得に貢献しています。

早稲田大学を卒業後は、福島県内にある高校で非常勤講師を勤めながら競技を続けていたのだそうです。

そして、2005年4月から早稲田大学競走部のコーチに、2015年4月から同監督に就任し現在に至ります。

第95回大会(2019年)の箱根駅伝でシード権を逃した際には、「私の指導力不足です」とコメントした相楽豊監督。

クロスカントリーを中心としたトレーニングでチーム全体の底上げを図り、予選会を通過した早稲田大学は翌年の第96回大会(2020年)で見事シード圏内に返り咲きました。

監督就任6年目となる2020年シーズン。

名門復活となるのでしょうか。

相楽豊監督の手腕の見せ所かもしれませんね。

早稲田大学競走部について紹介!

早稲田大学競走部の練習拠点となるメイングランドは、早稲田大学所沢キャンパス(織田幹雄記念陸上競技場)です。

2019年に改修工事が行われ、新しい全天候競技場に生まれ変わったとのこと。

直線・コーナーともに9レーンあり、日本陸上競技連盟第三種公認の400mトラックなんだそうですよ。

また、トレーニングルームも2019年に改修され、空気圧の負荷で筋出力にあった抵抗を作り出すことができる「KEISER」、そして地面からの反発を測定できる機械や室内走路といった最新設備があります。

さらに早稲田大学競走部では”ケガをしないチーム”をテーマに掲げていて、ケガをしないための動きづくりにも力を入れていて、ファイテンの酸素カプセルやフットマッサージ器を導入して活用しています。

ファイテンの知野亨トレーナーと共にトレーニングをする通称”知野トレ”は選手たちにも好評で、継続することで効果を実感できるという声もありました。

何事も、一つ一つの積み重ねが大事なんですね。

チーム内においては、時々食堂に集まって勉強会をしたり、テスト期間中にはみんなで知恵を出し合って助け合うといったこともしているのだとか。

和気あいあいとした雰囲気がありつつも、箱根駅伝では常に上位を目標としている早稲田大学競走部。

ケガをしない体づくりが、更なるチーム力の底上げに繋がると良いですね。

早稲田大学を応援するのに参考になるサイトも紹介!

・早稲田大学競走部公式ウェイブサイト
参考 トップページ早稲田大学競走部公式ウェブサイト

・Twitter 早稲田大学競走部
参考 早稲田大学競走部

 

【箱根駅伝】早稲田大学まとめ

 

早稲田大学競走部について、箱根駅伝での歴史や記録、そして監督や練習環境などについてご紹介してきました。

名門と呼ばれるチームには、プレッシャーが付きものですよね。

第95回大会(2019年)にシード権を逃したことで、現状を見直し、チームの底上げを図った早稲田大学競走部。

これからもシード権を維持しつつ、上位に食い込むことができるのでしょうか。

新しいチーム作りも楽しみです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です