第98回大会(2022年)箱根駅伝では総合4位に入賞し、箱根駅伝の常連校としても有名な東洋大学。
過去に活躍した選手も多く在籍していて、中でも「二代目山の神」と呼ばれた柏原竜二さんをご存じの方も多いのではないでしょうか。
また、東京オリンピック2020(2021年)の競歩で銀メダルを獲得した池田向希選手も東洋大学出身というのは、知っていましたか?
そこでここでは、箱根駅伝における東洋大学の歴史や過去の成績、強さの秘密、そして東洋大学出身の有名選手などについて詳しくご紹介していきたいと思います。
もちろん、酒井俊幸監督についても触れていますので、ぜひ最後までご覧になってみてくださいね。
箱根駅伝での東洋大学の歴史と過去成績は?
それではまず、箱根駅伝における東洋大学の歴史や、箱根駅伝の出場回数、そして箱根駅伝での過去の成績についてご紹介していきたいと思います。
箱根駅伝における東洋大学の歴史
東洋大学陸上競技部が創立されたのは、1927年(昭和2年)。
箱根駅伝に初出場したのは1933年です。
箱根駅伝にシード権制度が導入された1956年以降にはシード校の常連校となり、第36回大会(1960年)では過去最高の総合3位に入賞、その後も安定した強さを見せたものの、優勝にはあと一歩届きませんでした。
1970年代にもシード権争いを繰り広げ、「ロードの東洋大」「復路の東洋大」といった異名もつけられるほど。
そんな強さを見せていた東洋大学でしたが、第62回大会(1986年)以降、シード権争いから脱落し下位に低迷してしまいます。
そしてついに、第68回大会(1992年)への本戦出場を逃し、箱根駅伝連続出場が44回で途切れてしまったんですね。
その後、再び東洋大学が箱根駅伝に姿を現したのは第79回大会(2003年)のこと。
第83回大会(2007年)から上位10位以上をキープするようになり、第85回大会(2009年)には、往路・復路ともに優勝し、初の総合優勝に輝きました。
さらに、その翌年の第86回大会(2010年)でも総合優勝を果たし2連覇を達成、そして第88回大会(2012年)では箱根駅伝史上5校目となる、往路・復路・総合の全記録を更新する完全新記録優勝を成し遂げました。
第90回(2014年)にも往路・復路・総合すべてで優勝。
箱根駅伝では、往路でも優勝、復路でも優勝、総合でも優勝することを完全優勝というのですけれど、東洋大学はこの完全優勝を第85回、88回、90回と3回達成しているですよ。
そして第94回(2018年)、第95回(2019年)での往路優勝と常に上位争いにいるチームなのです。
そのほかの箱根駅伝に関する記録は、以下の通りです。
>>>第85回箱根駅伝で東洋大学の総合初優勝で出された特集号を読むならこちら
参考
特集 第85回東京箱根間往復大学駅伝競走 総合初優勝東洋学報
東洋大学 箱根駅伝の成績
東洋大学 箱根駅伝の成績 | |
記 録 | 回 数 |
出場回数 | 80回 |
シード権獲得回数 | 46回 |
総合優勝回数 | 4回 |
往路優勝回数 | 7回 |
復路優勝回数 | 3回 |
区間賞獲得数 | 44 回 |
※ 2022年12月現在
東洋大学 箱根駅伝の今までの順位記録
東洋大学 箱根駅伝の今までの順位記録 | |||
回・年 | 総合順位 | 往路順位 | 復路順位 |
98回 2022年 |
4位 | 9位 | 2位 |
97回 2021年 |
3位 | 2位 | 9位 |
96回 2020年 |
10位 | 11位 | 7位 |
95回 2019年 |
3位 | 1位 | 5位 |
94回 2018年 |
2位 | 1位 | 2位 |
93回 2017年 |
2位 | 4位 | 2位 |
92回 2016年 |
2位 | 2位 | 2位 |
91回 2015年 |
3位 | 3位 | 4位 |
90回 2014年 |
1位 | 1位 | 1位 |
89回 2013年 |
2位 | 3位 | 4位 |
88回 2012年 |
1位 | 1位 | 1位 |
87回 2011年 |
2位 | 1位 | 2位 |
86回 2010年 |
1位 | 1位 | 2位 |
85回 2009年 |
1位 | 1位 | 1位 |
84回 2008年 |
10位 | 9位 | 10位 |
83回 2007年 |
5位 | 10位 | 3位 |
82回 2006年 |
10位 | 7位 | 13位 |
81回 2005年 |
13位 | 12位 | 14位 |
80回 2004年 |
6位 | 6位 | 7位 |
79回 2003年 |
6位 | 9位 | 4位 |
78回 2002年 |
本大会に出場なし | ||
77回 2001年 |
本大会に出場なし | ||
76回 2000年 |
15位 | 15位 | 15位 |
75回 1999年 |
9位 | 12位 | 7位 |
74回 1998年 |
10位 | 12位 | 7位 |
73回 1997年 |
7位 | 6位 | 10位 |
72回 1996年 |
11位 | 12位 | 12位 |
71回 1995年 |
10位 | 14位 | 8位 |
70回 1994年 |
15位 | 12位 | 17位 |
69回 1993年 |
11位 | 11位 | 7位 |
68回 1992年 |
本大会に出場なし | ||
67回 1991年 |
15位 | 15位 | 14位 |
66回 1990年 |
13位 | 15位 | 11位 |
65回 1989年 |
14位 | 12位 | 14位 |
64回 1988年 |
13位 | 14位 | 9位 |
63回 1987年 |
10位 | 13位 | 5位 |
62回 1986年 |
13位 | 13位 | 13位 |
61回 1985年 |
9位 | 8位 | 10位 |
60回 1984年 |
8位 | 9位 | 7位 |
59回 1983年 |
7位 | 8位 | 8位 |
58回 1982年 |
6位 | 6位 | 8位 |
57回 1981年 |
10位 | 12位 | 9位 |
56回 1980年 |
7位 | 5位 | 9位 |
55回 1979年 |
6位 | 8位 | 6位 |
54回 1978年 |
9位 | 10位 | 8位 |
53回 1977年 |
9位 | 8位 | 9位 |
52回 1976年 |
10位 | 10位 | 9位 |
51回 1975年 |
8位 | 10位 | 8位 |
50回 1974年 |
8位 | 9位 | 6位 |
49回 1973年 |
11位 | 12位 | 8位 |
48回 1972年 |
8位 | 8位 | 8位 |
47回 1971年 |
6位 | 7位 | 6位 |
46回 1970年 |
7位 | 11位 | 4位 |
45回 1969年 |
5位 | 9位 | 5位 |
44回 1968年 |
4位 | 6位 | 2位 |
43回 1967年 |
6位 | 7位 | 4位 |
42回 1966年 |
6位 | 7位 | 5位 |
41回 1965年 |
9位 | 11位 | 9位 |
40回 1964年 |
4位 | 5位 | 6位 |
39回 1963年 |
11位 | 14位 | 10位 |
38回 1962年 |
9位 | 8位 | 6位 |
37回 1961年 |
6位 | 7位 | 7位 |
36回 1960年 |
3位 | 5位 | 2位 |
35回 1959年 |
8位 | 5位 | 8位 |
34回 1958年 |
8位 | 5位 | 8位 |
33回 1957年 |
10位 | 12位 | 9位 |
32回 1956年 |
9位 | 9位 | 8位 |
31回 1955年 |
7位 | 5位 | 7位 |
30回 1954年 |
6位 | 6位 | 7位 |
29回 1953年 |
9位 | 9位 | 10位 |
28回 1952年 |
12位 | 12位 | 13位 |
27回 1951年 |
10位 | 11位 | 11位 |
26回 1950年 |
12位 | 13位 | 11位 |
25回 1949年 |
10位 | 6位 | 10位 |
24回 1948年 |
10位 | 8位 | 10位 |
23回 1947年 |
本大会に出場なし | ||
22回 1943年 |
本大会に出場なし | ||
21回 1940年 |
5位 | 4位 | 5位 |
20回 1939年 |
8位 | 6位 | 9位 |
19回 1938年 |
7位 | 8位 | 11位 |
18回 1937年 |
11位 | 6位 | 14位 |
17回 1936年 |
11位 | 10位 | 14位 |
16回 1935年 |
11位 | 11位 | 12位 |
15回 1934年 |
13位 | 11位 | 13位 |
14回 1933年 |
10位 | 10位 | 10位 |
13回 1932年 ~1回 1920年 |
本大会に出場なし |
※2022年12月現在
参考 過去の記録箱根駅伝 東京箱根間往復大学駅伝競走公式ホームページ
箱根駅伝の歴代優勝校の記録はこちら
>>>箱根駅伝 歴代優勝校の記録
箱根駅伝 歴代優勝校の記録
東洋大学出身の有名選手
それでは次に、東洋大学の注目選手、そして現在東洋大学に在学中の注目選手についてご紹介したいと思います。
東洋大学出身の有名選手(服部勇馬)
★ 服部 勇馬(はっとり ゆうま)
【経歴やどんな選手か?魅力なども】
1993年11月13日生まれ 新潟県十日町市出身。
服部勇馬選手は4人兄弟の長男で、小学生時代は毎日のようにサッカーをしていたといいます。
新潟県選抜や北信越選抜にも選ばれるほど、将来を期待されるサッカー少年だったそうですよ。
中学校に入ってからもサッカーを続けたかった服部勇馬選手でしたが、進学した中里中学校にはサッカー部がなかったため、持久力が得意だった服部勇馬選手はご両親の勧めもあって陸上部に入部。
ここから服部勇馬選手の陸上競技生活がはじまったんですね。
中学3年生のときには全国中学校体育大会の1500mで7位に入賞、全国都道府県駅伝では9人を抜いて区間4位という成績も残しています。
そして、陸上の名門校でもある宮城県・仙台育英高校へ進学。
高校2年生のときには10000mで歴代2位の記録を打ち出し、3年生のときにはインターハイの5000mで5位に入賞しています。
その一方で、高校駅伝競走大会では脱水症状を起こしてしまい、区間21位という悔しい経験もしているんですね。
すべてを思い通りに、というのは、なかなか難しいものですよね。
高校を卒業後は東洋大学へ。
箱根駅伝には4年連続で出場、2度の区間賞を獲得し、第90回大会(2013年)では区間3位の走りを見せ、チームの往路優勝・総合優勝に大きく貢献しました。
また、2014年2月に行われた第58回金栗記念熊日30kmロードレースでは学生新記録となる1時間28分52秒というタイムで優勝するなど、数々の好成績を残しています。
さらに、2015年11月に行われた第47回全日本大学駅伝では、1区を服部勇馬選手が走り、2区を弟である服部弾馬選手が走ったことで、兄弟によるタスキリレーが実現しました。
しかも、2人とも区間賞を獲得しているんですよ!すごいですよね!
東洋大学を卒業後はトヨタ自動車に入社。
入社1年目となる2016年11月に行われた第56回中部・北陸実業団対抗駅伝競走大会では、4区を走り区間賞を獲得、チームの優勝に多く貢献しました。
そして、2018年12月に行われた福岡国際マラソンにおいて、当時の日本男子マラソン歴代8位となる2時間7分27秒という好タイムを出して優勝、2020年東京オリンピックの選考会であるMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)の出場権を獲得。
2019年9月に行われたマラソングランドチャンピオンシップでは、苦しみながらも2位争いを繰り広げ、見事2位でゴールした服部勇馬選手は2020年東京オリンピック男子マラソン日本代表へ内定を決めました。
コロナ禍の影響を受けて1年延期された2020年東京オリンピック(2021年8月)に出場した服部勇馬選手でしたが、中間地点の手前から大きく失速、倒れそうになりながらも無事に73位でゴール。
北海道での開催だったとはいえ真夏日ということもあって、重度の熱中症になってしまったんですね。
好成績を残せなかったことは残念だったかもしれませんが、106人出場したうち30人が棄権するという過酷なレースだったこを考えると、完走できただけでも良かったのではないかなと思います。
これから出場するレースではどんな姿を見せてくれるのでしょうか。
楽しみですね。
参考 服部勇馬-高校時代に脱水症状て大きな挫折-大迫傑に競り勝ち東京五輪のマラソン日本代表へ<br /> Olympic Channel
【箱根駅伝での成績】
第89回大会(2012年) 9区 区間3位
第90回大会(2013年) 2区 区間3位
第91回大会(2014年) 2区 区間賞
第92回大会(2015年) 2区 区間賞
【大学卒業後の主な記録】
第56回中部・北陸実業団対抗駅伝競走大会(2016年) 4区 区間賞
第61回全日本実業団対抗駅伝競走大会(2016年) 4区 区間5位
第63回全日本実業団対抗駅伝競走大会(2018年) 5区 区間賞
福岡国際マラソン(2018年) 優勝
東京オリンピック2020マラソン(2021年) 73位
東洋大学出身の有名選手(設楽悠太)
★ 設楽 悠太(したら ゆうた)
【経歴やどんな選手か?魅力なども】
1991年12月18日生まれ 埼玉県大里郡寄居町出身。
男衾中学校、武蔵越生高校を卒業。
小学校6年生のときにお兄さんの影響で陸上を始めたという設楽悠太選手。
そのお兄さんというのが、なんと双子のお兄さんなんです。
お兄さんの啓太さんとは中学から大学まで、同じチームで活躍されていたそうですよ。
しかも、ふたりの活躍もあって、中学時代にはチーム初の全国中学校駅伝の出場を、そして高校時代にもチーム初の全国高等学校駅伝競走大会への出場を果たしています。
東洋大学へ進学してからも、箱根駅伝に4年連続で出場し、3年連続で区間賞(3区)を獲得するなど、チームの優勝にも大きく貢献しました。
また、箱根駅伝と並んで大学三大駅伝と呼ばれている出雲駅伝においても区間賞を獲得して、チームを優勝に導いています。
そんな東洋大学のエースだった設楽悠太選手が大学卒業後に選んだ先はHondaでした。
というのも、Hondaの選手は東洋大学のグラウンドを借りて練習しているのをずっと見ていたということで、大学卒業後の練習環境を変えずに慣れたところで練習ができるというのは設楽悠太選手にとっては大きなメリットだったようです。
また、Hondaの合宿に参加したときのチームの印象も良かったというのも、Hondaを選ぶ決め手だったそうですよ。
社会人ランナーとなってからも、東日本、全日本といった数々の実業団対抗駅伝競走大会に出場し区間賞を獲得するなど、その勢いは止まりません。
2018年の東京マラソンでは2時間6分11秒というタイムを叩き出し、日本人トップとなる総合2位に入賞するとともに、当時の日本記録を16年振りに更新しました。
また、2020年11月3日に行われた東日本実業団対抗駅伝競走大会では、5区の区間2位となる24分3秒で走り抜け、チーム総合3位という成績に導いています。
その一方で、2020年シーズンからはコロナ禍ということもあって、中止になるレースも相次ぎ、思うように実践を積めないジレンマも抱えているようです。
スポーツ界も少しずつ状況が良くなっていくといいですね。
【箱根駅伝での成績】
第87回大会(2011年) 3区 区間8位
第88回大会(2012年) 3区 区間賞(区間新記録)
第89回大会(2013年) 3区 区間賞
第90回大会(2014年) 3区 区間賞
【大学卒業後の主な記録】
2015年世界選手権北京大会 10000m 23位
2016年リオオリンピック 10000m 29位
2018年東京マラソン2018 2位(当時日本記録)
2019年ゴールドコーストマラソン 優勝(大会新記録)
【自己ベスト】
10000m 27分41秒97(2017年11月)
ハーフマラソン 1時間00分17秒(2017年9月)
マラソン 2時間06分11秒(2018年2月)
箱根駅伝・二代目山の神(柏原竜二)
★ 柏原 竜二(かしわばら りゅうじ)
1989年7月13日生まれ 福島県いわき市出身。
2008年から2011年の4年間、東洋大学陸上競技部のエースとして活躍。
箱根駅伝では最も険しいとされる山登りの5区を4年連続で担当。
しかも、その4年間すべてで区間賞を獲得し、さらに区間記録を3度更新したことなどから、「新 山の神」「2代目 山の神」とも呼ばれていました。
東洋大学を卒業後は富士通にて陸上を続けていましたが、アキレス腱や仙腸関節などの故障もあり、2017年3月31日、27歳で現役を引退。
2019年4月16日にはBS11アナウンサーの八木菜緒さんとの結婚を発表しました。
現在は富士通の企業スポーツ推進室に所属していて、スポーツ活動全般への支援や、地域・社会貢献活動などを担当、また、文化放送でパーソナリティを務めるなど、幅広く活躍されています。
参考 柏原竜二Wikipedia
2021年東京オリンピックで注目された東洋大学出身の選手(池田向希)
★ 池田 向希(いけだ こうき)
1998年5月3日生まれ 静岡県浜松市出身。
浜松積志中学校、浜松日体高校を卒業。
モデルの「みちょぱ」こと、池田美優さんの「はとこ」としても一躍脚光を浴びた池田向希選手。
駅伝やマラソンではなく、なぜ競歩という競技を選んだのか、池田向希選手のこれまでの経歴を簡単にご紹介したいと思います。
幼少期の頃はお父さんの影響を受けてテニスをしていたという池田向希選手が陸上を始めたのは、中学校に入学してから。
浜松日体高校に進学してからも陸上を続けていましたが、長距離という種目では力のある選手に埋もれてしまって、なかなか芽が伸びなかったそうです。
高校2年生のとき、顧問の先生の勧めもあって競歩の大会に出場、東海地区大会で9位に入賞したことで、競歩という競技の魅力、そして自分の可能性を感じるようになります。
しかし、東洋大学に入学を決めたものの、競歩の入部枠がすでに埋まっていたために、マネージャー兼務という形での入部になってしまいました。
本来なら、練習やレースに集中したいところですが、寮の電話番や給水ボトルの洗浄、ゴミ捨て、さらにはタイムキーパーなど、マネージャー業務をこなしながらトレーニングをしなければならなかったんですね。
それでも関東学生陸上競技対校選手権や日本インカレなどで表彰台に上がり、確実に実力をつけていきました。
そして2020年3月に行われた全日本競歩能美大会で優勝を飾り、東京オリンピック2020代表に内定。
そして迎えた東京オリンピック2020(2021年8月)の競歩大会では先頭集団でレースを繰り広げ、見事銀メダルに輝きました。
2021年4月からは旭化成株式会社に所属しています。
東洋大学の酒井俊幸監督について紹介!
それでは最後に、東洋大学の酒井俊幸監督や、東洋大学陸上競技部(長距離部門)についてご紹介したいと思います。
★ 酒井 俊幸(さかい としゆき)監督について
1976年5月23日生まれ 福島県石川郡石川町出身。
高校時代には全国高等学校駅伝競走大会に出場した経験を持つ酒井俊幸監督。
酒井俊幸監督自身も東洋大学出身で、箱根駅伝にも3度出場しています。
1999年にコニカミノルタ(旧コニカ)に入社してからも、チームの全日本実業団駅伝3連覇に貢献。
2005年にコニカミノルタを退社した後は、母校である学校法人石川高等学校の教員になり、陸上部の顧問を務めました。
2009年3月から東洋大学の陸上競技部の監督に就任、現在に至ります。
第98回大会(2022年)箱根駅伝では総合4位だった東洋大学、酒井俊幸監督が掲げる次の目標は「総合優勝」!
東洋大学陸上競技部(長距離部門)のここに注目!
東海大学陸上競技部(長距離部門)のここに注目!という点について紹介したいと思います。
陸上競技部の寮や練習を行うグランドがあるのは、川越キャンパス(埼玉県)です。
川越キャンパス(埼玉県)には陸上競技部のグラウンドのほか、野球場、ラグビー場、フットサルコートも設置されていて、自然豊かな場所なんだそうです。
また、グラウンドの外周は芝生になっているため、脚や腰、膝などへの負担が少なく、長い距離を走り込むのに適しているのだとか。
さらに、グラウンドの隣にはクロスカントリーコースもあるということで、広い敷地ならではの練習環境が整っています。
ところで、過去10年間の箱根駅伝の成績を見てみると、第96回大会(2020年)を除いて、常に3位以内という東洋大学、その強さはどこにあるのでしょうか?
その一つとして挙げられるのは、酒井俊幸監督の指導方法です。
かつては、チームみんなが同じトレーニングをして強くなるという、駅伝のためのチーム作りをしていた酒井俊幸監督でしたが、徐々に選手個人に合わせた指導法に変えていきました。
心身的に不安がある選手や、1%でも途中棄権をする可能性がある選手は起用しないと決めている酒井俊幸監督。
その裏には、無理をして走ったとしても後からみじめな思いをするのは選手だから、という優しさがあるんです。
そのため、酒井俊幸監督は選手のどんな小さな変化も見逃すまいと、選手の顔色や体調、血色、目つき、足の状態にまで気を配っていると言います。
言葉に出さなくても、ちょっとした変化で、いつもと違うなっていうのは分かったりするものですよね。
でも、選手ひとりひとりに気を配るのは、とても大変なことだと思います。
ですが、レース中に行う声かけも選手に合わせて行うなど、選手に寄り添った指導をしているんです。
そうすることで、選手自身も安心できたり自分に自信が持てたりするのかもしれませんね。
そしてもう一つ、東洋大学を支えているものがあります。
それは「食育」です。
食事で身体を作り、食事で身体を強くする、アスリートに近い食習慣を付けるという狙いがあるということ。
選手たちは定期的に血液検査をして体脂肪や骨密度などを測定して、ひとりひとりに合わせた食事のアドバイスも行っているのだとか。
ただやみくもにたくさん食べて体力を付ければいいというものではないんですね。
そんな選手たちの食習慣を支えているのは、女子栄養大学栄養学部の上西一弘教授、酒井俊幸監督夫妻を含めた指導スタッフ、そして学生寮の調理師の方たち。
まさに縁の下の力持ちともいえる大きな存在が、東洋大学のチーム力を支えています。
コロナ禍というチーム全体での練習ができなくなってからも、選手間のコミュニケーションを密にとり、チームの結束力を高めてきた東洋大学。
まだ先の見えない日々が続くかと思いますが、頂点を目指して頑張って欲しいですね。
東洋大学陸上競技部(長距離部門)の応援に参考になるサイトも紹介!
東洋大学の応援に参考となる公式サイトやSNSを紹介したいと思います。
・輝け鉄紺!:箱根駅伝「優勝」をめざす東洋大学陸上競技部(長距離部門)公認応援ホームページ
参考
トップページ輝け鉄紺!
・スポトウ 東洋大学スポーツ新聞編集部
参考
News【陸上競技】スポトウ 東洋大学スポーツ新聞編集部
・東洋大学陸上競技部(長距離部門) Instagram
参考
東洋大学陸上競技部(長距離部門)Instagram
【箱根駅伝】東洋大学まとめ
東洋大学陸上競技部(長距離部門)について、箱根駅伝での歴史や記録などをご紹介してきました。
東洋大学出身の有名選手も多いですし、オリンピックの銀メダリストまでも誕生しましたから、東洋大学を目指す中高生たちもさらに増えてきそうです。
箱根駅伝でもトップ争いを繰り広げていますし、第90回大会(2014年)以来の総合優勝に輝く日も近いかもしれませんね。