神奈川大学と言えば、東京⇔箱根間を走り、ほぼ神奈川県を横断する箱根駅伝では地元の大学になります。
神奈川県では、神奈川大学を応援するファンも多いのですよ。
「横浜専門学校」として初参加したのは1936年の第17回大会からと、比較的長い歴史を有しています。
とはいえ、箱根駅伝への出場や優勝回数はそこまで多いわけでもないのですよね。
そんな神奈川大学の箱根駅伝での歴史や、これまでの出場回数・優勝回数といった過去の成績や記録などなど、気になることを調べてみました。
神奈川大学箱根駅伝での大学の出場回数や優勝回数は?
箱根駅伝における神奈川大学の歴史
神奈川大学駅伝部門(陸上競技部)が創部されたのは、1933年(昭和8年)。
初めて参加したのは1936年開催の第17回大会、当時は「横浜専門学校」としての参加でした。
神奈川大学駅伝チームは、駅伝部としてではなく、正式には神奈川大学陸上競技部内の駅伝部門という部門の1つとして存在しているのですよ。
箱根駅伝へのこれまでの出場回数は、53回。
地元なのに意外と少ないと思ったかもしれませんね。
過去には、51回大会(1975年)~67回大会(1991年)と長い間、本戦への出場が叶わない時期もありました。
例え地元の大学であっても、箱根駅伝に連続出場するというのは難易度が高いことなのでしょうね。
そんな低迷期の神奈川大学駅伝チームを改革したのが、1989年に長距離専門の指導者を探していた神奈川大学にコーチとして就任した大後栄治さん。
1991年の箱根駅伝予選会では5位にはいり、本戦への出場権を獲得。
就任3年目、18年ぶりとなった1992年の第68回大会では総合14位、つづく1993年の第69回大会では8位となりシード権を獲得しました。
しかし、72回大会(1996年)には、レース前から左足を痛めていた4区を走っていた高嶋康司選手が5km付近で走れなくなってしまい、左足脛骨(けいこつ)の疲労骨折により6.3㎞で大後栄治コーチに抱きかかえられて医務車に乗り途中棄権、総合・往路の記録はなし、と逆境に立たされながらも選手たちはあきらめずに復路2位(参考記録)と大健闘。
このことが教訓となりチーム全体にけが予防への意識が高まり、つづく1996年秋の箱根駅伝予選会では予選1位通過、1997年の第73回大会では総合・往路で優勝し、箱根駅伝での初総合優勝を果たしました。
1997年4月に監督を引き継ぎ、大後栄さんが監督として初めて迎えた最初の箱根である1998年の第74回大会では、総合・往路・復路全てで優勝を達成。
神奈川大学のこれまでの総合優勝回数2回は、その当時の記録になります。
その後もシード権を連続で獲得してシード校として箱根駅伝に出場していましたが、2006年頃からシード権を逃すようになり、予選会からの出場が当たり前のようになっていきました。
第98回箱根駅伝では、総合12位とシード権にはあと一歩届かず逃してしまいましたけれど、2022年の予選会をまずは突破し、第99年ではシード権を目標に頑張ってほしいなと思います。
以下の記事もこれまでの歴史を振り返るのに役立つので、よかったら読んでみてくださいね。
参考 栄光の軌跡JINDAI EKIDEN公式サイト
そのほかの箱根駅伝に関する記録は、以下になります。
神奈川大学 箱根駅伝の成績
神奈川大学 箱根駅伝の成績 | |
記 録 | 回 数 |
出場回数 | 53回 |
シード出場回数 | 12回 |
総合優勝回数 | 2回 |
往路優勝回数 | 3回 |
復路優勝回数 | 1回 |
区間賞獲得数 | 18回 |
※ 2022年4月現在
神奈川大学 箱根駅伝の今までの順位記録
神奈川大学 箱根駅伝の今までの順位記録 | |||
回・年 | 総合順位 | 往路順位 | 復路順位 |
98回 2022年 | 12位 | 12位 | 11位 |
97回 2021年 | 13位 | 8位 | 14位 |
96回 2020年 | 16位 | 17位 | 13位 |
95回 2019年 | 16位 | 18位 | 11位 |
94回 2018年 | 13位 | 15位 | 9位 |
93回 2017年 | 5位 | 6位 | 7位 |
92回 2016年 | 13位 | 15位 | 12位 |
91回 2015年 | 17位 | 14位 | 16位 |
90回 2014年 | 18位 | 15位 | 20位 |
89回 2013年 | 16位 | 18位 | 6位 |
88回 2012年 | 15位 | 15位 | 17位 |
87回 2011年 | 15位 | 15位 | 14位 |
86回 2010年 | 本大会に出場なし | ||
85回 2009年 | 15位 | 16位 | 15位 |
84回 2008年 | 15位 | 19位 | 11位 |
83回 2007年 | 17位 | 17位 | 17位 |
82回 2006年 | 16位 | 10位 | 17位 |
81回 2005年 | 10位 | 10位 | 10位 |
80回 2004年 | 8位 | 7位 | 5位 |
79回 2003年 | 11位 | 8位 | 11位 |
78回 2002年 | 6位 | 1位 | 11位 |
77回 2001年 | 5位 | 12位 | 3位 |
76回 2000年 | 8位 | 13位 | 4位 |
75回 1999年 | 3位 | 6位 | 2位 |
74回 1998年 | 1位 | 1位 | 1位 |
73回 1997年 | 1位 | 1位 | 2位 |
72回 1996年 | 棄権(4区)総合・往路記録なし(復路2位・参考) | ||
71回 1995年 | 6位 | 7位 | 5位 |
70回 1994年 | 7位 | 9位 | 8位 |
69回 1993年 | 8位 | 6位 | 11位 |
68回 1992年 | 14位 | 15位 | 13位 |
67回 1991年 ~51回 1975年 | 本大会に出場なし | ||
50回 1974年 | 20位 | 20位 | 20位 |
49回 1973年 ~47回 1971年 | 本大会に出場なし | ||
46回 1970年 | 14位 | 14位 | 14位 |
45回 1969年 | 本大会に出場なし | ||
44回 1968年 | 本大会に出場なし | ||
43回 1967年 | 12位 | 14位 | 11位 |
42回 1966年 | 14位 | 14位 | 14位 |
41回 1965年 | 15位 | 15位 | 14位 |
40回 1964年 | 本大会に出場なし | ||
39回 1963年 | 本大会に出場なし | ||
38回 1962年 | 15位 | 15位 | 13位 |
37回 1961年 | 本大会に出場なし | ||
36回 1960年 | 15位 | 14位 | 15位 |
35回 1959年 | 15位 | 13位 | 16位 |
34回 1958年 | 14位 | 13位 | 14位 |
33回 1957年 | 15位 | 15位 | 14位 |
32回 1956年 | 12位 | 11位 | 11位 |
31回 1955年 | 11位 | 12位 | 12位 |
30回 1954年 | 11位 | 11位 | 11位 |
29回 1953年 | 10位 | 10位 | 11位 |
28回 1952年 | 10位 | 8位 | 10位 |
27回 1951年 | 7位 | 8位 | 7位 |
26回 1950年 | 14位 | 14位 | 13位 |
25回 1949年 | 11位 | 11位 | 11位 |
24回 1948年 ~22回 1943年 | 本大会に出場なし | ||
21回 1940年 | 7位 | 7位 | 7位 |
20回 1939年 | 10位 | 9位 | 10位 |
19回 1938年 | 10位 | 12位 | 8位 |
18回 1937年 | 13位 | 12位 | 12位 |
17回 1936年 | 14位 | 13位 | 13位 |
16回 1935年 ~1回 1920年 | 本大会に出場なし |
※2021年12月現在
参考 過去の記録箱根駅伝 東京箱根間往復大学駅伝競走公式ホームページ
箱根駅伝の歴代優勝校の記録はこちら
>>>箱根駅伝 歴代優勝校の記録
箱根駅伝 歴代優勝校の記録
神奈川大学出身の有名選手
神奈川大学出身の有名選手(鈴木健吾)
★ 鈴木 健吾(すずき けんご)
【経歴やどんな選手か?魅力なども】
1995年6月11日生まれ 愛媛県宇和島市出身。
宇和島東高校卒業。
小学校6年生の時に父親の勧めで陸上を始めた鈴木健吾さん。
高校3年生のインターハイでは5000mで10位に入り、全国駅伝愛媛大会では1区2位、四国高校駅伝では1区を区間賞で走り16年ぶりの優勝に貢献しました。
神奈川大学に入学し、1年生の時から予選会に出場し、第91回箱根駅伝予選会では個人33位(チーム内4位)、本戦では6区19位に。
2年生の時の92回箱根駅伝予選会では個人9位(日本人6位・チームトップ)、本戦では5区4位と確実に順位を上げていきました。
3年生ではチームの駅伝主将に任命され、5月の関東インカレ2部10000mで3位、7月のホクレンディスタンスチャレンジ北見大会では10000mで28分30秒16の大学新記録をマーク。
箱根駅伝予選会では日本人トップの個人3位、箱根駅伝本戦では2区で区間賞を獲得し、チーム総合5位となり12年ぶりのシード権獲得に貢献しました。
4年生となり最後となる第94回箱根駅伝では、2区4位という結果に。
卒業後は富士通に入社するも、初年度は大腿骨の疲労骨折など故障が相次ぎ、ほとんどレースに出られませんでした。
2019年の東京マラソンでは13位、マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)の出場権を獲得し出場して7位に。
2021年の第65回ニューイヤー駅伝では6区で区間賞を獲得し、チームの12年ぶりの優勝に貢献しました。
2月の第76回びわ湖毎日マラソンでは2時間04分56秒の日本新記録で優勝。
これからの活躍も楽しみな選手ですね。
【箱根駅伝での成績】
第91回大会(2015年) 6区 19位
第92回大会(2016年) 2区 14位
第93回大会(2017年) 2区 1位
第94回大会(2018年) 2区 4位
【大学卒業後の主な記録】
2021年 全日本実業団駅伝 6区 区間賞
2021年 第76回びわ湖毎日マラソン 優勝(日本新記録)
【自己ベスト】
5000m 13分57秒88(2016年)
10000m 27分49秒16(2020年)
ハーフマラソン 1時間01分36秒(2017年)
マラソン 2時間04分56秒(2021年)(日本記録)
神奈川大学陸上競技部の大後栄治監督について紹介
★ 大後 栄治(だいご えいじ)監督について
1964年11月21日生まれ 東京都出身。
日本体育大学荏原高等学校(にっぽんたいいくだいがくえばらこうとうがっこう)卒業し、日本体育大学に入学するも、故障もあり満足に走れず、そんな中で2年生になって上級生の助言もありマネージャーに転向。
マネージャーとしてOBとの折衝などもやらなければならず、ストレスから円形脱毛症となり、同級生から養毛剤をプレゼントされるという逸話もあるほど、大変だったようですね。
しかも当時は監督・コーチ不在の状況で、学生ながらも事実上の監督としてチームを引っ張っていきました。
日体大では大学院まで進み、卒業後の1989年に長距離専門の指導者を探していた神奈川大学にコーチとして就任。
就任当時の神奈川大学駅伝チームは、15年間本戦に出場していない状態。
スポーツ推薦で入学している選手たちも覇気が感じられず、本気で箱根駅伝を目指す雰囲気はなかったよう。
大後コーチは、練習環境の改善に取り掛かり、アパート1棟を買い取って部員寮にしたり、選手の食事管理し選手の食生活の安定を図ったり、大学から離れた専用グランドに行くために大型バスを購入して選手の移動をスムーズにするなど選手のおかれている状況を改革していきました。
そんな大後コーチのもとで、熱意ややる気の低迷していた選手たちの意識も「(どうせ出られない箱根駅伝に)出られるかもしれない」という風に変わっていきました。
その後の歴史は、前の見出しに書いていますので、省略しますね。
大後監督がチームにおいて大切にしていることの1つは、「チーム力」。
大後栄治監督は「集団力学(グループダイナミックス(Group dynamics))」をチームの柱と考えていて、チーム力を高めるのは部員たちとの指導方針を掲げています。
伝統的に一人のエースで戦うチームよりも、総合力で戦うチームを目指し、選手たちひとりひとりが自主的にチーム力を高める方法を考え実践することが重要と、自身があまり前面にでないようにしているそう。
そのチームには、選手以外のマネージャーなども含まれ、「駅伝は部員全員で行うもの、決してエントリーメンバーだけで戦うものではない」という代々受け継がれてきた精神文化を大事にし、それがあればさらにチームは進化すると信じているという大後栄治監督。
再び強い神奈川大学が観られることを楽しみにしています。
※グループダイナミクス(集団力学)・・・日本語では集団力学といい、グループの仲間同士で起こる相互作用や動きの事で、誰に強制されることなく集団内で励ましや助言などが自然に起こる心理をいう。
神奈川大学陸上競技部駅伝チームのここに注目!
神奈川大学陸上競技部駅伝チームのここに注目!という点を紹介したいと思います。
神奈川大学陸上競技部駅伝チームの寮の食堂で料理長を務めているのは、地元神奈川県の出身の塩沢恵子さん。
食事の面から部員たちの健康をサポートし、様々な相談にも乗るチームのお母さんともいえる存在なんですよ。
寮の料理を担当するようになったのは務めている会社からの要請によるもので、16年もの長い間選手たちの朝食と夕食を作ってきました。
日々の献立は、会社から送られてくる長距離を走る陸上選手のカロリーを計算したメニューを基本に、その時々で現場の判断で選手が食べやすいように、好き嫌いにも配慮しつつ工夫しているとのこと。
土日や夏季合宿以外は毎日選手と顔を合わせる塩沢さんにとって、選手たちは本当の子供のように可愛く、健康状態や練習やレースでの怪我を心配していて、本当にお母さんって感じですよね。
余談ですけれど、寮が出来る前のアパートでの共同生活の際には、横浜キャンパスの近くにある喫茶「ソフトコーヒー」のオーナである斉藤孝子さんがチームの食生活を支えていたのですよ。
以前に神奈川大学ラグビー部の寮に食事を出していたのを聞いた就任当時の大後監督が、お店に直接出向いて連日のようにお願いし、その熱意に押されて引き受け、朝食と夕食を作って、寮が出来るまで選手たちはお店に食べに行っていたとのこと。
神奈川大学駅伝チームの強さは、食事を担う地元の方々の支えがあってこそなのだと感じました。
また地元六角橋商店街も、箱根駅伝のテレビ中継が行われる前から応援してきたそう。
こういった地元の身近で支え応援してくれる存在というのは、チームの大きな支えになっているのでしょうね。
JINDAI EKIDEN 私と神大駅伝チーム 塩沢恵子さん
JINDAI EKIDEN 私と神大駅伝チーム 斉藤孝子さん
神奈川大学陸上競技部を応援するのに参考になるサイトも紹介!
・神奈川大学陸上競技部駅伝チーム公式サイト
JINDAI EKIDEN 神奈川大学陸上競技部駅伝チーム公式サイト
【箱根駅伝】神奈川大学まとめ
箱根駅伝のコースは神奈川県を横断することもあり、地元ともいえる神奈川大学。
そのチームの強さは、大後監督の指導方針である選手一人一人がチームが自主的に考え実践していくことで力を発揮している「チーム力」。
そのチーム力で予選通過し、2023年の第99回箱根駅伝ではシード権を目標に頑張ってほしいと思います。