当サイトはアフィリエイト広告を利用しています

【箱根駅伝】日本体育大学の優勝回数や成績は?連続出場はいつから?

この記事には広告を含む場合があります。

記事内で紹介する商品を購入することで、当サイトに売り上げの一部が還元されることがあります。

スポンサーリンク

 

箱根駅伝の連続出場75回を誇る日本体育大学

実はこの75回連続というのは、箱根駅伝に初登場してからずっと続いている記録だということをご存じでしたか?

日本体育大学と言えば、スポーツ分野に強い大学としても有名ですし、教員免許の資格が取れる大学というイメージもありますよね。

箱根駅伝では1970年代に6度も総合優勝を飾るなど、名門・強豪校としても名を連ねていた日本体育大学ですが、近年は予選会からの出場が続いているんです。

いったいなにがあったのでしょうか?

そこでここでは、箱根駅伝における日本体育大学の歴史や過去の成績を振り返りながら、日本体育大学出身の有名選手や陸上競技部の監督、チームについてご紹介していきたいと思いますので、ぜひ、最後までご覧になってみてくださいね。

 

 

スポンサーリンク



箱根駅伝での日本体育大学の優勝回数は?連続出場はいつから?

 

それではまず、箱根駅伝における日本体育大学の歴史や、箱根駅伝の優勝や出場回数、そして箱根駅伝での成績についてご紹介していきたいと思います。

 

箱根駅伝における日本体育大学の歴史

 

陸上競技部創部1925年(大正14年)

初めて箱根駅伝に出場したのは第25回大会(1949年)。

それ以降、第98回大会(2022年)まで74回連続出場を継続中です。

連続出場回数1位の中央大学の87回に続いて、堂々の2位記録。

1949年~2022年まで、途切れることなく毎年箱根駅伝に出場、74回連続出場というのはなかなか達成できる記録ではありません。

さらに日本体育大学の記録ですごいのは、総合優勝回数は10回ながら、そのうちの5回が連続優勝ということ。

連続優勝記録に関して、第45回大会(1969年)初優勝を飾ると、第49回大会(1973年)まで5連覇を達成しています

この記録は、6連覇を達成した中央大学の次にあたる、2位となる連続優勝記録なんですよ。

そのうち、第45回大会(1969年)第46回大会(1970年)第48回大会(1972年)往路も復路も優勝する完全優勝も達成しました。

ですが、1990年代に入るとシード権落ちが続き、予選会からの出場が続くことになります。

2003年以降、再び順位が浮上しシード権を獲得してきましたが、第95回大会(2019年)には13位に落ち込み、第96回大会(2020年)ではなんと17位に沈んでしまいました。

実はこの頃、日本体育大学は2018年から監督人事が混迷していたのです。

2018年9月に当時監督を務めていた渡辺正明監督はパワハラ問題で解任、その後、棒高跳び専門の小林史明監督とベテランの渡辺公二総監督が就任しましたが、2019年5月からは横山順一部長が監督を兼任する形でチームを取りまとめてきました。

チーム監督が頻繁に変わるというのも、チーム力に大きな影響があるのかもしれませんね。

そして、この現状を立て直すべく、女子駅伝の名将と呼ばれ、日本体育大学OBでもある玉城良二監督2020年7月1日付けで日本体育大学陸上男子駅伝ブロックの監督として就任

この人事を受け、部長を兼任していた横山順一監督は部長に専任することになりました。

第97回大会(2021年)では、14位と順位を上げて盛り返したように見えましたけれど、第98回大会(2022年)では再び17位と順位を落としてしまいます。

第99回大会(2023年)も17位という結果に。

第100回記念大会にはまず予選に出場して突破する必要があります。

玉城良二監督の下で気持ちを新たに進み始めている日本体育大学、名門の意地を見せることができるのでしょうか?

ぜひ、これからも注目していきたいですね。

 

日本体育大学 箱根駅伝の成績

 

日本体育大学 箱根駅伝の成績
 記 録回 数
出場回数75回
シード出場回数52回
総合優勝回数10回
往路優勝回数10回
復路優勝回数10回
区間賞獲得数77回

※ 2023年10月現在

 

日本体育大学 箱根駅伝の今までの順位記録

 

日本体育大学 箱根駅伝の今までの順位記録
回・年総合順位往路順位復路順位
99回
2023年
17位18位11位
98年
2022年
17位16位19位
97回
2021年
14位15位13位
96回
2020年
17位18位18位
95回
2019年
13位16位9位
94回
2018年
4位7位3位
93回
2017年
7位13位3位
92回
2016年
7位13位4位
91回
2015年
15位17位13位
90回
2014年
3位4位3位
89回
2013年
1位1位2位
88回
2012年
19位11位19位
87回
2011年
8位10位10位
86回
2010年
9位3位17位
85回
2009年
3位3位4位
84回
2008年
12位14位9位
83回
2007年
4位3位9位
82回
2006年
9位14位3位
81回
2005年
2位5位3位
80回
2004年
9位4位10位
79回
2003年
9位6位14位
78回
2002年
11位12位6位
77回
2001年
11位9位8位
76回
2000年
11位10位10位
75回
1999年
12位10位10位
74回
1998年
11位13位6位
73回
1997年
10位10位8位
72回
1996年
9位11位10位
71回
1995年
5位6位4位
70回
1994年
8位6位11位
69回
1993年
10位8位13位
68回
1992年
11位7位12位
67回
1991年
5位4位7位
66回
1990年
6位9位4位
65回
1989年
2位2位2位
64回
1988年
3位3位2位
63回
1987年
2位1位3位
62回
1986年
6位4位6位
61回
1985年
3位3位1位
60回
1984年
2位3位2位
59回
1983年
1位1位2位
58回
1982年
2位1位4位
57回
1981年
2位2位3位
56回
1980年
1位1位1位
55回
1979年
2位3位1位
54回
1978年
1位2位1位
53回
1977年
1位1位1位
52回
1976年
2位3位1位
51回
1975年
3位4位2位
50回
1974年
5位4位7位
49回
1973年
1位1位3位
48回
1972年
1位1位1位
47回
1971年
1位4位1位
46回
1970年
1位1位1位
45回
1969年
1位1位1位
44回
1968年
2位4位3位
43回
1967年
5位5位5位
42回
1966年
3位4位3位
41回
1965年
5位6位4位
40回
1964年
5位4位9位
39回
1963年
4位5位4位
38回
1962年
3位5位5位
37回
1961年
4位5位3位
36回
1960年
9位13位4位
35回
1959年
7位7位6位
34回
1958年
4位4位5位
33回
1957年
7位6位7位
32回
1956年
5位6位6位
31回
1955年
10位10位10位
30回
1954年
10位9位10位
29回
1953年
13位14位4位
28回
1952年
9位10位9位
27回
1951年
8位7位8位
26回
1950年
10位8位10位
25回
1949年
7位5位5位
24回
1948年
~1回
1920年
本大会に出場なし

※2023年10月現在

 


参考
過去の記録箱根駅伝 東京箱根間往復大学駅伝競走公式ホームページ

 

箱根駅伝の歴代優勝校の記録はこちら
>>>箱根駅伝 歴代優勝校の記録
[kanrenc id=”7785″]

 

スポンサーリンク

日本体育大学出身の有名選手は?

 

それでは次に、日本体育大学出身の有名選手をご紹介したいと思います。

 

日本体育大学出身の有名選手(谷口浩美)

 

谷口 浩美(たにぐち ひろみ)

【経歴やどんな選手か?魅力なども】

1960年4月5日生まれ 宮崎県日南市出身

小林高校に在籍していたときには3年連続で全国高校駅伝に出場し、チームに2連覇にも大きく貢献しました。

小林高校卒業後、日本体育大学に進学。

箱根駅伝には2年生から4年生まで3年連続で出場、いずれも6区を走り区間賞を獲得しています。

さらに、3年生と4年生のときには2年連続で当時の区間新記録を塗り替えるなどの大活躍を見せて、「山下りのスペシャリスト」とも呼ばれていたそうですよ。

日本体育大学を卒業後は旭化成に入社、マラソンランナーとして数々の大会優勝を飾り、1991年に開催された世界陸上では、日本人選手初の金メダルに輝きました。

1992年のバルセロナオリンピックでは、後ろを走る選手に靴を踏まれて転倒、靴を履き直すなどのアクシデントがあったために、優勝候補の一人として期待されていたのですが、残念ながら結果は8位。

このレース後のインタビューで飛び出したのが、あの有名な「こけちゃいました」発言ですね。

テレビでも多く放送されていたので、記憶に残っている方もいるのではないでしょうか?

そして、1997年に現役を引退された谷口浩美さんは、旭化成の陸上競技部のコーチに就任、1999年にはヘッドコーチとしてチームを牽引しました。

その後も、沖電気陸上競技部と東京電力長距離・駅伝チームの監督を務め、東京農業大学では陸上競技部の助監督を務めるなど、指導者としても長い間活躍されました。

2017年8月に、宮崎大学の特別教授に就任し現在に至ります。

【箱根駅伝での成績】
第57回大会(1981年) 6区 1位 区間賞
第58回大会(1982年) 6区 1位 区間賞
第59回大会(1983年) 6区 1位 区間賞

 

【自己ベスト】
5000m 13分49秒17(1989年)
10000m 28分34秒18(1989年)
マラソン 2時間07分40秒(1988年)

 

【主な記録】
1986年 アジア競技大会 男子マラソン 銀メダル
1989年 東京国際マラソン 優勝
1989年 北海道マラソン 優勝
1990年 ロッテルダムマラソン 優勝
1991年 世界陸上競技選手権大会 男子マラソン 金メダル

 

出典:Wikipedia 谷口浩美

 

日本体育大学の玉城良二監督について紹介!

 

それでは最後に、日本体育大学の玉城良二監督や、男子駅伝チームについてご紹介したいと思います。

玉城 良二(たまき りょうじ)監督について

 

1961年7月7日生まれ 長野県長野市出身

中学生時代はバスケットボールで汗を流していた玉城良二監督は、高校に入学してから陸上を始めました。

1980年日本体育大学へ進学。

1年生のときには中距離ブロックに所属していましたが、2年生から長距離ブロックへ転向

箱根駅伝では3年生のときに補欠として登録されていたものの出場機会はなく、4年生のときに10区を走り区間3位と大健闘、チーム成績2位へ大きく貢献しました。

日本体育大学を卒業後は長野県立高校の体育教員として、主に女子の長距離選手を指導

チームを高校全国高校女子駅伝出場に導いたのは、なんと23回

2005年から監督を務めていた長野東高校では、2017年、2018年と2年連続で準優勝に導きました。

長らく女子駅伝チームを牽引してきた玉城良二監督にある日、母校である日本体育大学から監督就任の連絡があったのだそう。

そして、2020年3月末長野東高校を退職2020年7月1日付けで日本体育大学陸上男子駅伝ブロックの新監督として就任しました。

男子選手を指導するのは初めてだということですが、指導方針は変えず、結果に至るまでの過程を大事にしたいと玉城良二監督は話します。

新任とはいえ、これまでの監督経験や実績が十分にある玉城良二監督。

母校への思いを胸に、チームを1つでも上の順位に導いてくれることでしょう。

 

スポンサーリンク

日本体育大学男子駅伝チームのここに注目!

 

日本体育大学男子駅伝チームのここに注目!という点について紹介したいと思います。

日本体育大学陸上競技部の練習拠点は健志台キャンパス陸上競技場で、男子駅伝ブロックのほか、女子駅伝ブロック、短距離ブロック、中距離ブロックなど様々な種目があり、種目ごとに練習時間が決められているとのこと。

学生寮は健志台合宿所となっていて、練習から帰った後も、チームメイトと競技中の動画を見ながら反省をしたり、ときにはアドバイスを出し合うなど、先輩後輩が同時に暮らしているからこそのメリットがたくさんあるそうです。

また、良い成績を出している先輩たちの生活態度なども肌で感じることができるので、生活面での学びも多いのだとか。

学生寮で生活をしているのは陸上競技部だけではなく、そのほかの運動部の選手とも共有していますので、そういった生活環境も刺激になるのではないでしょうか。

箱根駅伝には72回連続出場中の男子駅伝チームですが、第97回大会(2021年)の予選会も6位で通過し、その連続出場記録を73回に伸ばすことができました。

第96回大会(2020年)では、復路の鶴見中継所で繰り上げスタートになってしまい、タスキが途切れてしまったという悔しい思いが、選手たちの心を奮い立たせ、予選会通過に繋がったようです。

予選会に向けては50日間の長い夏合宿期間を設けて、基礎的な走り込みを徹底して行い、ミーティングを通じてモチベーションを維持するための環境づくりも欠かさなかったといいます。

なによりも、74年連続で箱根駅伝に出場するということが凄いですよね。

第99回大会(2023年)では、シード権を再び手にすることができるのでしょうか?

選手たちの走りに期待したいです。

 

日本体育大学を応援するのに参考になるサイトも紹介!

 

・日本体育大学 駅伝特設サイト 駆け抜けろ日体大

参考
トップページ日本体育大学 駅伝特設サイト 駆け抜けろ日体大

・X(旧Twitter)日本体育大学 男子駅伝ブロック(公式)

参考
日本体育大学 男子駅伝ブロック(公式)X(旧Twitter)

 

【箱根駅伝】日本体育大学まとめ

 

箱根駅伝の名門、日本体育大学の歴史や新監督、男子駅伝チームについてご紹介してきました。

長い歴史がある中で、優勝争いをしていた時期もあれば、シード権落ちが続いた時期もあった日本体育大学。

2020年7月にはOBでもある玉城良二新監督を迎え、シード権獲得を目標に再び走り出しました。

名門であるがゆえに、チームにかかるプレッシャーも大きいのかもしれません。

玉城良二監督率いる男子駅伝チームの今後の活躍がとても楽しみです。

先ずは予選会突破頑張って欲しいですね。

 

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトは reCAPTCHA と Google によって保護されていますプライバシーポリシー利用規約 申し込み。

The reCAPTCHA verification period has expired. Please reload the page.