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箱根駅伝の花の二区の由来や意味とは?なぜエース区間というの?

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毎年1月2日と3日の2日間に渡って行われる箱根駅伝は、大学の駅伝ながら平均視聴率が20%後半という高い数値を誇っています。

全国放送ということもあって、たまたまテレビを付けたらやっていて、結局最後まで見てしまったという方もいらっしゃるかもしれませんね。

箱根駅伝を何回かしか見たことがないという方でも、「花の2区」という言葉を一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?

箱根駅伝は10区間に分かれていて、1チーム10名でタスキを繋ぐものなのですが、なぜ「2区」だけ「花の2区」という呼ばれ方をしているのか気になったことはありませんか?

そこでここでは、なぜ箱根駅伝の2区は「花の2区」と呼ばれているのか?

その理由や意味について調べたことをまとめていきたいと思います。

また、他の駅伝でも2区は「花の2区」と呼ばれているの?といったことについても調べてみました。

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箱根駅伝の2区や他の区間の特徴とは?

それではまず「花の二区」についての前提知識となる、箱根駅伝における2区区間の特徴と、他の駅伝でも花の2区と呼ばれているのか?ということについて見ていきたいと思います。

箱根駅伝の2区区間の特徴

箱根駅伝は10区間で構成されていて、それぞれの区間に特徴があるんですよ。

一部をご紹介しますと、たとえば、5区や6区では山地と平地を走るために、地形の勾配もさることながら、気温差も激しく体への負担が大きな区間とされています。

また、9区は平坦で距離も長いためにきっちりとしたペース配分が必要なことから、復路のエース区間(松の9区)と呼ばれているのですよ。

それでは、2区の特徴はどういうものなのでしょうか?

簡単にご紹介すると大きな特徴としては、

・1区を走ってきた選手の流れを引き継ぐ重要な区間

・最初の難関として知られる「権太坂」があり地形的にも走りづらい

ということが上げられ、各チームのエース級の選手が集まることが多い区間とされています。

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花の二区の由来や意味とは?なぜエース区間と呼ばれるの?

それでは次に、なぜ箱根駅伝の2区が「花の2区」「エース区間」と呼ばれているのか、その理由や由来について見ていきましょう。

さきほども少し触れましたが、1区を走ってきたスピードのある選手の流れを引き継ぐといったことや、「権太坂」という坂があるなど地形的にも走りづらいことから、チームのエース級の選手が集まることが多いので、エース区間と呼ばれています。

この「エース区間」であるということが、「花の2区」と呼ばれる理由でもあるのですよ。

なぜかというと、そのエースである選手を間近で見たいと思う観客が沿道に集まるからです。

また、横浜の市街地を走るということもあって、観客も集まりやすいとも言えますね。

このように、エースが走り観客も多く集まることで、その場が華やかになるという意味もあって「花の2区」と呼ばれているのだそう。

そして、第82回大会で小田原中継所の場所が変更になるまでは10区間のうち最も長い距離だったために、よりエースと呼ばれる選手が起用されることが多くありました。

箱根駅伝の歴史を振り返ると、瀬古利彦選手(早稲田大学)、諏訪利成選手(東海大学)、藤田敦史選手(駒澤大学)など、名選手たちがこの2区を走っていたというのも、「花の2区」や「エース区間」と呼ばれる理由となっているのですよ。

また、一度に何人も抜く「ごぼう抜き」や、反対に途中で失速してしまう「ブレーキ」が起こるのも2区の特徴で、これまでも数々のドラマが生まれているため、「今年の2区では何が起こるのか?」と注目が集まり、「花の2区」を取り上げられることが多いため、箱根駅伝をあまり見たことがない人でも、よく耳にする言葉になっているのではないかなと思います。

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他の駅伝でも2区は「花の2区」と呼ぶの?

ここで素朴な疑問が・・・。

箱根駅伝以外の他の駅伝でも、2区は「花の二区」と呼ばれているのでしょうか?

他の駅伝で「花の2区」という表現を使われることもあるようですが、花の2区とは、箱根駅伝が発端とされているので、基本的には箱根駅伝でのみ使われるのが正しいと言われています。

箱根駅伝には、「花の2区」以外にも「山の神」とか、独特の表現があるのでその由来や意味を知っていると、テレビ観戦もより一層楽しめると思いますよ。

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箱根駅伝で今は花の2区ではない?過去の区間やごぼう抜きの記録も

それでは最後に、2024年現在における花の2区の本来の姿過去の花の2区の区間、そして、歴代のごぼう抜きの記録について見ていきたいと思います。

箱根駅伝の歴史は古く、1920年(大正9年)に誕生したと言われています。

その長い歴史の中で、いつも同じルートを走っていたわけではなかったんですね。

さきほども第82回大会で2区の小田原中継所の場所が変更になったとお伝えしましたが、箱根駅伝は区間距離の変更が何度か行われているんです。

そのため、第37回(1961年)以降は10区間の中で最長距離とされていましたが、第82回大会(2006年)から第92回大会(2016年)までは小田原中継所の場所が変更になったことで、実は5区が最長距離になっていた時期もあったんですよ。

そして2021年現在においては、2区と9区が23.1㎞と同じ距離になっているので、2区だけが最も長い距離というわけでもないのですよね。

しかし、長い歴史の中で「花の2区」と呼ばれ続けていたために、それが今でも定着しているということはあるようですね。

ですが、今でもこの花の2区で最も注目されているのが「ごぼう抜き」で、1度に何人もの選手を抜いて順位をどんどん上げていくその走りは、見ている観客を夢中にさせるものがありますよね。

そこで、そんな2区で展開された過去のごぼう抜きの記録をご紹介していきます。

【主なごぼう抜きの記録】

●20人抜き

2009年大会 ギダウ・ダニエル(日本大学)

●17人抜き

2011年大会 村沢明伸(東海大学)

●15人抜き

2003年大会 中川拓郎(順天堂大学)

2008年大会 ギダウ・ダニエル(日本大学)

●14人抜き

2021年大会 イェゴン・ヴ・ウィンセント(東京国際大学)

●13人抜き

2008年大会 伊達秀晃(東海大学)

2018年大会 ドミニク・ニャイロ(山梨学院大学)

2019年大会 パトリック・マセンゲ・ワンブィ

ごぼう抜きと聞いて、10人でもすごいなと思っていたのですが、過去の記録を調べたところ、10人どころではありませんでした。

ここでご紹介したのはほんの一部ですが、中でもギダウ・ダニエル選手は2年連続で15人、20人とまさにごぼう抜きをしていて、本当に驚きました。

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箱根駅伝の花の二区まとめ

箱根駅伝の花の2区について、そして、花の2区と呼ばれる理由や意味についてご紹介してきました。

花の2区と呼ばれる理由については歴代の名残りもありますが、今でもエースと呼ばれる選手が走ることが多かったり、横浜市街を走ることもあって、華やかで盛り上がりが期待される区間であることが分かりました。

テレビでも注目される区間でもありますし、選手にとっても、花の2区を走れるということは全国にアピールできる最高の場所であるとも言えるかもしれません。

箱根駅伝を見る際には花の2区、そしてごぼう抜きにも注目してみてくださいね。

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